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隣の人の素性さえ知らないのに

ライターという仕事をしていても、意外と自分で言葉を綴ることはなかった。というより、正確に言えば避けてきたのかもしれない。

誰かに見られているということ、他人の目、人の存在を。

自分の意識とは厄介だ。自分が何を思っているか、自分では意識できていない。

「自分がやりたいことをやるのが一番」と職場の同僚に言いながら、結局私は、同じ言葉をかける。また、きっと。

人間というものは、こうも簡単に自分の思いを忘れるくせに、何故か執拗に他人の目を気にしてしまう。

「今、私のこと噂してない…?」
「え、何かまずいこと言ったかな。。」
「あの子は、今ごろどうしているんだろうか」
こんな具合だ。

今だってカフェにいて、隣のサラリーマンらしき男性が猫背気味にスマホを操作するなか、わたしは平然と、淡々と、文字を打っていく。

彼がどんな仕事をしていて、何を頼んだかなんて、知るわけもないのに。


「他人の目が気になる」という人がいる。いつだって例に漏れず、わたしもその一人だ。

しかし同時に、隣の男性を気にせず自分の思いをつらつらと書くわたしもいる。

どっちが本当かなんて議論する意味もない。どちらも本当のわたし。等身大の自分だ。


人。の存在は本当にあなたにとって脅威か?
人はそんなにも、あなたが何をしているのか興味があるのか?

他の人がどう思ったとしても、わたしは他人にはなれない。今芽生えた気持ちは、今だけのもの。隣の男性の素性がわからないように、わたしの今の気持ちだって、人にはわからないものだ。 


自分の気持ちを偽らないでいこう。


書くことがご無沙汰であっても、書きたければ書けばいいのだ。そんなにも今を犠牲にして、あなたは何のために生きるのか。


これを見た未来の自分が 今 の気持ちを忘れたとしても、またきっと、思い出せるように。

誰にも読まれず、誰の心に刺さらないとしても、わたしはわたしのために、今の気持ちを書いてみることにしたんだ。

今の、等身大のわたしで。

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