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神様に仕えたいと思った話

究極の選択ってありませんか?

私は働くことが好きだったのですが、同時に神様に仕えていきたいという思いもありました。

二兎を追う者は一兎をも得ず。

仕事か神様か問われた時に、恵みによって神様を選ぶことができたお話をします。



じゃあ、あげるよ、こんなやつ。


当時リラクゼーションセラピストの仕事をしていた私は、すでにイエス・キリストを自分の罪からの救い主として信じていました。

ある日、たまたま教会に行けた時に

神様はどんな者でも用いることができる

というメッセージを聞きました。


どんな者でも用いることができる

=夢も希望もなく心底疲れ果てている私でも神様は私を必要としている

と聞いて、自分の計画を手放し、私以上に私を愛される神様に信頼して生きていこうと思いました。

その後、神様のプランに信頼して従ったら、何と250万と、もっと好きな仕事と、ロールモデルが与えられました。

神様は本当に、良いお方です。

(▽詳細はこちらから。退職のススメではありません。)

与えられた「もっと好きな仕事」が、書くことだったのです。

昔から言葉が好きだったのに、その時になって気付くなんて不思議ですね。

そこから個人で仕事をし、やがてライターとしてアルバイトをしました。

仕事内容は、化粧品やサプリメントなど、クライアントの商品の魅力を、文章で伝えること。

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端的に商品の魅力を伝えます。

「化粧品の使い方とか、お腹に効くサプリとか、正直そんなに興味がもてない。というか、買おうともあまり思えない。

じゃあ自分が興味がもてることは……?

伝えたいことは何……?」

気乗りしない商品の説明文も書く中で、次第にこう思うようになりました。


もっと神様のことを伝えたい。


興味がもてない商品を伝えるほど、
神様を伝えたい思いが募っていきました。


実は、神様を伝えたいと思う前からずっと
「わたしはあなたを人間を獲る漁師にしよう」という御言葉が心に響いていました。

当時は何のことかわからず無視しましたが、三度目に示されてやっと
「あ、この御言葉、自分に語られてるのか」
と理解しました(ごめんなさい)。

だから余計に、今の仕事を辞めて、自分なりに神様のことを伝えようと思ったのです。


2022年7月。仕事を辞めて目指したのは、個人で仕事を受け持つ生活。

とってもやりたい仕事の面接が1時間後に迫った頃、聖書を詠んで祈る中で神様からこう言われました。

「すべての仕事をやめてわたしの働きに仕えなさい」

・ ・ ・


神様のことを伝えたくて、選んだ生活。

なのにいつの間にか、頭の中は仕事でいっぱいでした。

心底やりたい仕事。その面接の直前というタイミングが、何とも神様から、私の気持ちを問われているようで。 

仕事に没頭したいのか?

それとも、

あなたを愛される神様を伝えたいのか?

きっとこのタイミングでなければ、
中途半端な自分の気持ちに気づくことはなかったでしょう。

このタイミングだからこそ、
「神様に仕えたい」を選ぶことができました。



だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは神と富とに仕えることはできません。

聖書 マタイの福音書6章24節


主イエス・キリストは、私たちの罪のために死なれ、3日目に復活。信じるものに、罪の赦しを与えられます。

いのちをかけて私を愛し、罪から自由にしてくださった主イエス・キリスト。

そんな主イエスと仕事を同時に愛することはできません。

でも私たちは、選べます。

もし「神様を愛したい」と思うなら、それは義務ではない。主イエスの深い愛に感動するから選べたのだと、仕事を通して教えていただきました。


願わくば、私たちがもっと、神様の愛の大きさ、偉大さを知ることができますように。



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