神としてのあり方を捨てられないとは考えず
聖書を詠んで思ったこと
2:6「神としてのあり方が捨てられないとは考えず」が心に留まった。
人が友のために死ぬ。これよりも大きな愛はない。 と聖書にはある。
上記の箇所から、愛とは、喜んで相手のために苦労を負うことであると思った。であるなら、神が神としてのあり方を捨てられないとは考えなかったのも、一重に愛によること。
最近を振り返って
私はどうか?自分の考え、プライドに凝り固まっていないだろうか。
自分を正当化して相手を裁いたりするなど、自分を守ることに必死で柔軟さがないのではないか。
自分の殻を、やり方を超えて、人のために動けているだろうか。
そう思うと、全く実践できていないことに気付かされた。
ここから今日どのように生きたいか
イエス様は、神としてのあり方を捨てられないとは考えなかった。
だから私も、イエス様のように、自分の考えややり方に執着せず、人のために動いていきたい。
それは、頑張るというより、そのように変えてくださるよう主に祈り、そして主に信頼して一歩を踏み出す。神様と一緒に前に進むことだから。
祈り
「神様、このような気づきを与えてくださってありがとうございます。また、義務で聖書を詠むのではなく、聖書を詠むことで心を新たにされたいからという、自発的な理由で詠むことができました。これもまた、あなたによること。このように変えてくださることを、本当にありがとうございます。
どうか今日、自分の譲れない面、砕かれるべきところを教えてください。そうして積極的に人のために動けるような人へと、どうかあなたが造り変えてくださいますように。
このようにまた、あなたと楽しく、また新しい気持ちであなたと仲を深めることができる恵みをありがとうございます。
私たちの救い主、イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。」
これを詠む人もまた、神様の祝福に目をとめることができますように。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?