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私、人生で「暇」って思ったことない。 それは、暇にならないように注意深く暇つぶしを持ち歩いて用意していたり、 要は「暇」が無駄だって思ってきたから。 というのもあるし、
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バチェロレッテの福田萌子さんは、 あーだこーだ言う世の人たちに対して 「バチェロレッテは人間ドラマなので、 自分に意識を向けて自分に得るものを見出してください」 と、 (長いコメントを、すごーく端的に要約すると!!笑。) こういうことを言っていた。😌 それを聞いて、
昔(数年前)自分が書いたものが出てきた。 前の彼と別れるときのお手紙。笑 めちゃめちゃコーチング思考を実践してた。 健気。泣ける。笑
私は能力も低いし、 仕事もできない。 できることはコーチングと 人をちょっぴり幸せにすることぐらいなんだ。 最近、自分の現実を直視してます。 自分の能力、実力、現実を、 たくさん直視してます。 直視することにしたんです。 見て見ぬふりをしていたところ、 見ないようにしていたところが、 いっぱいあったなぁって思うんです。 「現実を理解すること」受けとめること、正しく認識すること、 それがいつでも 進むためや変わるための「出発点」だと いうことは 思考整
私が勝手に申し訳なく思って、 動きにくく感じて、 もし縮こまっていたらそれは、結局ただの迷惑になる。 誰だって、いつだって、 すべきことは、 自分の能力と行動力を最大限に発揮することなのだから。
仕事を本気でするようになってから、 いっそう家事が好きになった気がする。 たぶん、いっそう癒しになった。 たとえば、私は 残しておくことがすきだから 感じたこと、思ったこと →書きとめる、メモする 出会ったもの、見た視界 →写真に撮る けど、 たとえば
世の中は、知らない人が損をする。 求める人ほど、得をする。 感度が高い人ほど、情報を仕入れて、知識に詳しくなって、賢く生きる。 はなから諦めている人、望むことすらできない人は、損をする。 性格が良くても、どんなに真面目でも、損を食う。 世の中に迷惑をかけない人ほど、負担を受け入れている。 ずるをしないで、正しく生きようとしている人が、 賢く欲深い人たちのぶんの負担を背負っていることがある。 だから、自分で求めていかなくちゃいけない。 知識は力。あきらめることを受け
心のお悩みについては いくらでも付き合えるし 解決したいと思って力が入っちゃうし 心って根深い問題だし奥が深いから どれだけでも時間を使える。 けど、片付けられないって、結局は 「片付けない」っていうことだから 私はそこに親身になれない。 なりたくもないと思う。 結局、 「外側のもの」を求めている状態 だから。 だから私は整理収納アドバイザーじゃなくて コーチングをしている。
カメラロールを整理してて この写真が出てきて、見て 何気ない日常の家族の写真なんだけど 右下のマガジンラック?とか拡大して見て 何かすっごい胸が急に痛くなった、文字通り で涙ぼろぼろ急に出てきて 何だろうこれってなった。本当に。
楽観できない人は、自分が自分に楽観を許していないから 楽観的な人を見ると不快に思うわけで。 逆に、楽観が当たり前の人からは なんでそんなに悲観的なの?と 悲観的過ぎる人が不快(違和感)に感じるから、 両者はどんどん離れていくだけ。 自分がどんな「類」でいたいか、です。