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結婚記念日はいつにする?

結婚記念日――。
既婚者の方々は、どんな理由やストーリーの中で「この日」に結婚することを決めたのでしょう。
2人どちらかの誕生日とか、大安吉日とか、「いい夫婦の日(11月22日)」とか。または、想像もできないような理由で「その日」を選んだカップルもいるのでしょうね。

私の結婚記念日は、絶対に忘れない日に決めました。
それは、天国にいる私の父の誕生日。
結婚を決めるまでのストーリーも、ちょっと珍しいかもしれません。

相方さんとは18歳の頃からの付き合い。その後、紆余曲折はあったものの、ずっと一緒にいるのはこの人だと思っていました。
でも、私には一つ大きな問題があったのです。

「お前は家を継いで、婿養子をもらえ」

これは、物心ついた頃から何度となく父から言われていたことでした。女ばかりの姉妹で長女だった私は、そんな時代錯誤な《掟》をずっと守ろうとしていたのです。
とは言え、相方さんも長男。まさか「婿養子にきて」とは言えません。私は結婚すること自体、どこかで諦めていました。

私にとって父は誰よりも尊敬し、心から愛する大事な存在でした。私がまだ5歳の幼い頃に母という存在が消え去り、父は唯一無二の親になりました。父の言うことは絶対だし、父に嫌われないこと、父に誉めてもらうことが、私の人生の規範になっていました。
高校を卒業して上京してからも、父とは毎日のように電話で話しました。

30歳を過ぎた頃、父に彼を紹介する機会が訪れました。父が胆石の手術で入院中、彼を病室に連れて行ったのです。
「どうしてそんな時に?」と言われそうですが、これがベストな選択でした。

父は、地元では有名な「怖い人」でした。柔道、空手の有段者で曲がったことが大嫌い。言うべきことは躊躇せずガツンと言い放ちます。
小学生の頃、私がクラスの男子に頭を叩かれ泣いて帰った日、父はその男子の家に行き、食卓を囲む家族の目の前でその男子の頭を叩いて帰ってきました。私の仕返しに行ったのです。事件は翌日になるとクラス中、いや、学校中に知れ渡りました。
「あいつんちの父ちゃん、すげえ怖ぇんだぜ」
「ヤバイヤバイ、近寄ったら父ちゃんに殴られちゃうよ」
私は「怖くてヤバイ父を持つ女子」と認定されました。

中学生になると、父は私に近づく男子を蹴散らすことに精を出しました。男子から家に電話がくると「何の用だ?」と聞き返し、答えに詰まろうものなら容赦なく電話を切りました。数通のラブレターも私の手に届く前に破り捨てられました。
部活の帰りに同じ方角の男子と並んで自転車をこいでいると、後ろから車で追いかけてきて窓を開け、「何やってるんだ!」と怒鳴りながらクラクションを鳴らしました。さすがにこの頃は父の存在を疎ましく感じました。

彼は私と中学1、2年同じクラスでした。だから私の父が恐ろしい人物だということを知っていたのです。かなり腰が引けていました。

手術の翌日、まだ点滴の管で繋がれて身動きが取れない状態の父。チャンスは今しかありません。こういう時でなければ彼氏を父に紹介するなんて「閻魔様の前に生贄を連れていく」ようなものだったのです。(笑)

この選択は大正解でした。父は意外にもにこやかに彼を病室に招き入れ、穏やかな口調で話しました。緊張しまくっていた彼も、父の優しい問いかけに素直に答えていました。

それからは毎回彼と一緒に実家へ帰省しました。父は彼のことを本当に気に入ったようで、一緒に車で出かけたり、犬の散歩にいったり、庭の掃除を手伝わせたりしました。欲しかった「我が息子」を得たような気持ちだったのかもしれません。
父も彼も「山羊座のO型」で、気が合ったのでしょうか。

とにかく私はほっとしました。この調子なら、父は私が「嫁に行く」ことを承諾してくれるかもしれません。「結婚」への道がパアっと開けた気がしました。

互いの両親を招いて何度か会食をし、あとは私が父に「彼は長男だし、婿養子にはならないよ」と言うだけでした。

が・・・・・・

父が突然、天国に召されてしまったのです。青天の霹靂とはこういうことを言うのだと初めて知りました。

父の葬儀を終え、私は思いました。
「やっぱり、結婚はできないな」と。

最愛の父との、子供の頃からの約束。
「お前は家を継いで、婿養子をもらえ」
その約束が果たせないのなら、結婚はしない。
まあ、いいじゃない。
今時「結婚」という制度に縛られなくたって、好きな人と一緒にいられればそれでいいや、と。


そうして、何年もの月日が流れました。
彼とはその後もずっと一緒に暮らしていました。
もう長い長い付き合い。恋人同士というより、血の繋がった家族のような関係になっていました。

彼の両親の実家にもよく足を運びました。
「女の子が欲しかったんだけど、男2人で終わっちゃった」という彼のお母さんは、本当の娘のように接してくれました。私も、いつも笑顔を絶やさない明るいお母さんが大好きになりました。

「私、一度も海外旅行に行ったことがないの」
お母さんのそんな話から、女2人で台湾に行くことになりました。

初めての女2人旅は本当に楽しくて。
空港から専用車で台北の見どころをあちこち見て回り、日本語の上手なドライバー兼観光案内の男性の話に大笑いしたり驚いたり。
夜市でB級グルメを堪能し、お茶屋さんで高級烏龍茶を買って・・・・・・

最後の夜、お母さんが少し神妙な面持ちで私に尋ねました。
「ねえ、どうして結婚しないの?」
当時の私は42歳。互いの両親を会わせた頃から、もう10年以上経っています。私は正直にその理由を話しました。
父との約束がずっと心にあって、突然亡くなってしまったから説得することもできないままで、どうしてもそれが引っかかっていて結婚する気持ちになれないのだと。

すると、意外な言葉が返ってきたのです。

「なんだ、そういうことなのね。それならいいわ、うちの息子、あげる」「え?」

つまり、お母さんは彼(長男)を婿養子に出すというのです。

「でも、長男だし、お父さんもなんて言うか・・・・・・」
「いいの、うちは男2人いるんだから。お父さんには私から言っておく」

母は強し。
この鶴の一声で、一気に事が動き出しました。
旅行から帰るとすぐにお母さんから彼の戸籍謄本が送られてきました。
「婚姻届出すときに必要でしょ」
台湾に行ったのは11月の暮れ。その翌年の1月9日に私たちは入籍しました。

「ええ?! マジで俺が苗字変更するの?」
「うん、そういうこと」

1月9日は、父の誕生日。
父が嬉しそうに笑っている顔が目に浮かびます。

「パパ! 私、パパの言う通りにしたよ!」

タヒチ・ボラボラ島にて

FIN


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