
私がピカソになれなかった理由🖼️
おはようございます!YUWAのakariです。ピカソを馬鹿にしているのか怒られそうなタイトルですね😅でも馬鹿にしているのではなくて、誰もが偉人になれる可能性を持っているという話です。(まぁ偉人になりたいかどうかはまた別の話ですが笑)
私の絵は3歳ごろからすでに変でした。昔、祖母がお弁当屋さんを営んでおり、そこへ配達に来たおじさんが「おねえちゃん、おじさんが魚を絵を描いてあげよう!」と言って描いてくれました。おじさんが帰って行った後、私は「あのおじさんのえはへん!さかなにほねがない!おとなやのにさかなにほねがあるってしらんの?」と言い、おじさんが描いてくれた絵の上から骨をザクザクと描いていきました。
私の“変な”絵は幼稚園に入ってから益々ひどくなっていきました。そこまで描かなくていいでしょ!ってところまで書いてしまうので、幼稚園のお友達は可愛い絵を描いているのに1人だけ化け物系の絵になっていました。具体的には鼻の穴や耳の穴(形まで細かく)、ペンダントの形、歯なども一つひとつ描いていました。母の日の展示のためにお母さんの似顔絵を描いていたときには、みんながクレヨンで絵を描き始めているときに、お母さんの歯の本数は私と同じかなぁ?と思いながら舌を使って自分の歯の本数を数えていました。いろいろ心配になるような子どもです…。ちなみに母は先生に相談したそうです😂すると先生は、すごく観察してるしそれがダメなことではないから見守っていいと言ったそうです。(先生に心が広くて良かった笑)でもそのうち、私の絵だけ可愛くない!と思うようになり、お友達の絵と見比べて可愛くするためには鼻や耳の穴まで描いちゃダメなんだな〜と学び描くのをやめました。心の中では「なんであるのにかかないの?」と思いながら。
しかしあの時、周りのお友達のように“可愛い絵”にせず、自分の“これだ!”を突き通していれば私もピカソになれたんじゃないかと思うのです。(もう一度言いますが、ピカソを馬鹿にしているわけではありません笑)自分の意志で動くのではなく、周りに流されてしまっていては、きっとこの世に偉人は誕生しなかったんでしょうね。
今日のお話の終着点は偉人になりたいかどうかではなくて、自分の思う“これだ!”を大事にしたいですね!ということです。“Aにしよう!”という大人な自分と心の中で“本当はBがいい!”と思う自分がいては、心にモヤモヤとした何かが残ってしまいます。どんな理論よりも自分自身で感じる“これだ!”が1番ご自身を美しく輝かせてくれます。私のサロンに来て下さるお客様には、“本当になりたい自分”を温かく包み込み、そこに自分の“似合う”というスパイスを組み合わせて“自分らしさ”を大切にしてほしいと願っています。そのお手伝いができることに心から幸せを感じています。今日もお客様に会えるのが楽しみ♡