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要るか要らないかのボーダーを決める

2年ほど前からずっと片付をしています。そうです、自粛生活の始まりから片付けているのです。その片付けの第2章が終わりそうです。スローだったのには理由があります。自分の片付をしている間に母親が施設に入るための片付があったり、その他の家族事情が勃発したりと自分と向き合う時間がとれなかったからです。母の片付けをしながらいろいろなことを考えました。

母の部屋の片付け

母は綺麗好きで気分屋です。これ要らないなと瞬時に思ったら、すぐに捨てます。そして、これ欲しいと思ったら、瞬時に買います。これはそういう病気だから仕方がありません。収納の小分けケースもたくさんあって細かく分類してありました。この辺はボクも同じです。母親に似たのか?そういう病気なのか?変なところ似ているなと思いながら、片づけていました。片付けるものは思った以上に少ないほうだったと思います。『思い出』に分類されるものは、既に処分されていたので、何も考えずに済みました。それでも、母の生きてきた形跡や思考回路を考えると、自分の部屋に帰ってから切ない気持ちになり、何も手がつかなくなりました。そして、母もボク自身も先が短いことを嫌でも理解してしまいました。そういったこともあり、自分の片付けは止まっていました。

シンプリストを目指す

最近のボクが把握しているインテリアの傾向はミニマリスト、シンプリスト。仕事でお客様の要望を聞いていても、掃除がしやすいシンプルさを求められている気がしています。山崎実業さんのTOWERシリーズがそのブームを作ったのか?それともそのブームにうまく乗ったのかわかりませんが、水回りに関しては磁石で浮かしたがる人が増えていると実感しています。浴室に鏡もカウンターも収納も手すりも要らないというお客様がいました。ボクよりはるかに年上の男性上司からすると理解できないオーダーなようです。掃除をすることがない人だからそう思うのでしょう。掃除のめんどくささを知っている人は、汚れそうなところを予め省きたくなります。ボクもそうです。掃除を最低限で済ませたいからシンプリスト風な(風がポイント)な部屋にしようと片付けを始めました。
因みにボクの中でミニマリストとシンプリストの捉え方は違います。ミニマリストは究極までモノを削ぎ落とした考えでシンプリストはそれよりモノへの削ぎ落としは少なく、モノはあっても溢れていないと考えています。モノがたくさんある生活が幸せと思っていないし、モノのなさすぎる生活はボクには馴染めませんでした。なので、シンプルに暮らすことを目指しました。

要るか要らないかのボーダーライン 第1章

片付ける最初のスタートは『要るか要らない』でした。例えば、空き箱は要るか要らないか。お店で貰った紙バッグは要るか要らないか。壊れて使えないモノを持っている意味とは?買った時は、ボクの気持ちを盛り上げてくれたけれども、今はその存在自体忘れていたモノは要るか要らないか。そういうわかりやすい分類から始めました。簡単に分別できるモノから分別して片付けると成功体験と気持ちよさを味わうことができました。そして、収納ありきではなく、モノを整理してからそのモノにふさわしい居場所をつくります。これは使わないモノを大量に購入しない重要なポイントでした。

断捨離かときめきか

今や、『断捨離』という言葉がお片づけにおいて当たり前に使われています。お部屋の片付け=断捨離と表現できるくらいメジャーな言葉になったと感じています。しかし、ボクは断捨離という表現は文字が強すぎて苦手です。それだったら、こんまりさんのときめきの片付け術の方が優しくて好きです。ざっくりとした説明ですが、ひとつひとつのモノを触ってみて、ときめくかどうかで判断するという感覚的な片付け方法です。ひとつひとつ触れて対話するという方法は、モノに対して感謝の気持ちが湧きます。今の気持ちにときめかないモノは、今までありがとうと言って卒業します。『断捨離』より時間はかかりますが、自分と対話する時間ができて、今後、モノを部屋に招き入れるときはどのようなボーダーラインで購入したらいいかもわかってきます。ただ、かわいい!きれい!だけではなく、そのモノが幸せになって、ボクがしあわせになるか考えるようになりました。

要るか要らないかのボーダライン 第2章


母譲りで、布モノが大好きです。洋服、和服、布生地、手ぬぐい。インテリアファブリックなどなど。滅多にみないステキなデザインの布モノを見つけると手に入れたくなります。素材フェチでもあり、天然素材を触わりたいし、ステキなデザインをずっとみていたいと思ってしまいます。役に立つものではなく、趣味の範疇です。
しかし、いくら趣味だからって、そのモノたちがしあわせな人生を全うしているかどうかを考えたら(ボクの考えですが)、持ち運べるモノにしたり、身に付けれるモノにしたり、飾れるモノにした方が喜ぶのではないだろうかと考えました。そのため、2022年はほぼものづくりをしていました。カタチになったものもあれば、ボツになったものもありました。そして、好きだけど、過剰に買うことの意味について考えるようになりました。自分の首をしめる程、迎え入れない。必要な量を必要なだけ迎え入れようと考えるようになりました。これは布生地、和服についての購入ラインになりました。
洋服については、仕事に行く時に着るものなので、暑さ・寒さ調整ができて、天然素材(化繊アレルギーなので)で、テンションを無理やり上げてくれるもの。これが購入ラインです。うつ病だったり、双極性障害だったりと気持ちがうまくコントロールできないので、洋服でテンションを上げて、家から出られるようにしています。心をコントロールするため、鮮やかな色の服が多いです。ミニマリストたちのクローゼットはモノトーンでまとめられていますが、ボクがそれをやるとテンションが下がりっぱなしになると考え、そこは無理しないことにしました。

今後の目標

ストレスがあるとついつい書籍を購入してしまいます。無駄な行為とは思っていますが、なかなか止められない癖です。電子書籍に移行しようと考えましたが、写真や図の多い書籍が多く、スマホで読むにはストレスが溜まり、背表紙を眺めるのも好きなので、結局紙の本に戻ってしまいました。しかし、収納場所は有限であるので、ボーダーラインをどうしようか悩み中です。とりあえず、趣味の建築系の本を残して、それ以外を手放し始めました。2023年は積読を解消して、何度か読みたいと思う本のみを残していきたいと思います。年齢のせいか、本を読むことが苦手になってきています。インターネットの普及で、結論だけを知りたいと思うことも増えて、これではいけないと思い始めています

今後のモノとの付き合い方

2年ほど、ゆっくりとお片付けをして、気がついたことは、モノがそのモノの役割を果たしているかどうか。果たしていないのであれば、卒業していただいて、同じ役割のモノが過剰にある場合は、ダブって買わないように気をつけるようになりました。
趣味のモノについては、ボクの心を癒して盛り上げてくれるという役割を求めているので、その適切な量を考え始めました。精神的にも物理的にもモノに押し潰されない、プレッシャーにならないような迎え入れ方をしていこうと考えるようになりました。なかなか全てが思うようになりませんが、コツコツとモノたちと向き合っていきたいなと思っています。リバウンドしない片付け方法は、こういうことなのではないかと思っています。2024年を迎える頃には、もう少しシンプルに身軽になれたらいいなと思っています。


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