建築家毛綱毅曠氏を巡る旅
私が旅する理由
9月のある日、私は建築系のSNSで北海道釧路芸術館で「記憶を結び、共生の未来をイメージする。没後20年毛綱毅曠の建築脳」展が開催されていることを知る。毛綱毅曠氏を巡る旅は実は二回目である。最初に訪れたのは1998年。私が建築を学び始めた年。仕事を辞めたばかりの私は、勢いに満ちあふれていた。髪の毛を緑色のヘアマニキュアで夜中に染めた翌日に釧路行の夜行バスに乗るという、若気の至りとしか言いようのない突発的な行動を起こした。釧路の建築といえば「毛綱毅曠」。1998年頃といえば、まだ毛綱氏が活躍していた時代である。それから4年後に亡くなるとは思ってもいなかった。そんな事を書くと熱狂的な毛綱ファンと思われてしまうが、そうではない。毛綱氏がお母様の為に建てられた「反住器」を建築雑誌で見た時に衝撃を受けた。釧路市博物館など奇抜なデザインをする人だなくらいなイメージしかなかった。建築の奇抜なデザインをするということは、景観を破壊していて一般的に不快な印象を与えてしまう。私も毛綱氏のデザインは「いい」とは思えなくて、冷やかし半分で見て回った記憶がある。1998年に見て歩いた建物は「釧路市湿原展望資料館」「釧路市立博物館」「釧路市立東中学校」「釧路フィッシャーマンズワーフMOO / EGG」の4棟。今回は釧路駅から頑張れば歩いて回れるエリアのみの旅にした。
1日目のルート
NTT DoCoMo 釧路ビル→ 北海道釧路芸術館(設計は象設計集団)→釧路フィッシャーマンズワーフMOO / EGG→反住器→ふくしま医院
NTT DoCoMo 釧路ビル
前回(1998年)に来た時はこの建物は建築されていなかったので初見。どのような建物かというと下の写真のような近未来的なイメージ。角のアールや丸い窓がとメタリックシルバーな外観が印象的。窓の配置のバランスも独特である。目を引くメタリックシルバーだけでなく低層部分はこげ茶色の落ち着いた色合いで、このビルの下を歩くだけでは上層部が近未来的な建物とは思えない。少し離れて振り返ってこのビルを見ると個性的な建物だとわかる。
北海道釧路芸術館
北海道釧路芸術館の建物は象設計集団設計のものである。今回の旅の目的は「毛綱毅曠の建築脳」を見ること。10月10日に学芸員のツアーがあって、学芸員による解説を聞けたら聞きたいと思い、巡る旅はその後堪能しようと計画した。
展覧会を見た感想はこちら
釧路フィッシャーマンズワーフMOO / EGG
1989年建築の複合商業・観光施設。釧路川に面して建てられている。釧路の観光スポット幣前橋のすぐ近くにある。外観は海の町並みが表現されていて、内観のスロープ、吹抜けは釧路の都市構造をイメージしている。
いろいろな要素が多くて非常に面白い。釧路川側と反対側は全く違う表情している。川に面した方は白鳥が翼を広げているように見える。ひとつひとつのディテールに注目して、これは何を表しているか想像して楽しめる。
反住器
1972年建築。母親の為に建てられた住宅で毛綱氏はこの作品で有名になった。一辺7.4メートル、3.8メートル、1.7メートルの3つの箱を入れ子構造で設計した。わかりやすく言うと建物のマトリョーシカである。外観もスタイリッシュでかっこいいが、内観は明瞭であるが複雑という何とも表現しにくい面白さがある。中に入ることはできなかったが、前回(1998年)は個人宅だったので、住所もわからなかった。今回展覧会があったことをきっかけにやっと外観だけでも見る事ができて幸せを感じた。
ふくしま医院
2000年建築の病院。毛綱氏晩年の作品である。ふくしま医院も初見である。外観はすっきりとかわいらしくまとめられている。中にはコンサートホールがあるらしいが、曜日的、時間的、コロナ禍なのでおじゃまするのをやめた。いつか中の空間も味わってみたい。こってり自己主張が強い胃もたれするような作風という感じはなかった。
2日目のルート
釧路市立博物館→釧路市立幣舞中学校→釧路キャッスルホテル
釧路市立博物館
1984年建築。1985年に日本建築学会賞を受賞している。タンチョウが羽を広げた外観デザイン。春採湖を見下ろすように建てられているので、そういったイメージになったのでしょう。タンチョウ???に・・・。言われてみれば、そう見えるかも???面白いくらいにデフォルメされている。二重螺旋階段がこの建物の目玉のひとつ。DNAをイメージしたり、上下方向への動線をシンプルに導くために二重螺旋階段を用いる建物って意外と多いなと二重螺旋マニアになりかけている私は思うのであった。
釧路市立幣舞中学校
1986年建築。毛綱氏の母校で旧名は釧路市立東中学校。毛綱氏はアーチを12本作りたかったが、予算の都合上7本になったという話を聞いた。12本だった場合、どれくらいの間隔で並んだのだろう今の間隔を維持しているのか大きくなるのか、ずらし加減はどうするのかと勝手に妄想すると楽しい。
釧路キャッスルホテル
1987年建築。私が見た毛綱氏の作品でいちばん「唖然」とした作品。素人がデザインしたのかと思う程のわかりやすい外観デザイン。本当はここに泊まりたかったのだが、予約でいっぱいで泊まれなかった。コアなファンがいるのかもしれないと思った。2015年に内装をリニューアルしているため、毛綱ワールドは堪能できないが、外観だけでお腹がいっぱいになった。1998年に見た時も違和感があったが、時と共に見慣れてくると・・・やっぱり違和感がある(笑)景観論争おきてもおかしくないレベルだなというのが私の率直かな感想である。
最後に
「記憶を結び、共生の未来をイメージする。没後20年毛綱毅曠の建築脳」をきっかけに毛綱氏の作品を見てまわることができてよかった。展覧会の内容は、後日別記事で書きたいと思っている。毛綱氏と当時の釧路市長鰐淵氏が釧路の文化を高めていたという話を耳にしたことがある。当時はいろいろ言われていたが、今は釧路・阿寒観光公式マップに載せられている。
そう思うと文化が定着するまでにはそれなりの時間がかかるのだなと改めて思う。今、モダニズムの作品が耐震性の問題等で壊されている。ポストモダンの建築もそういった末路をいくのだろう。いい建築か否かは別として、せっかく環境破壊をしながら作った建物が安易に壊されて巨大なゴミとなっていくことに私は疑問を感じている。毛綱氏の作品も現存していないものが既にいくつかある。今後「現存せず」が増えていくことだろう。現存している間にいくつかの建築を見てまわるきっかけをくれた「記憶を結び、共生の未来をイメージする。没後20年毛綱毅曠の建築脳」展に感謝している。