脱・最悪な夜
最悪な夜だった。
売れ残りのポテトが不味かった。
お風呂で寝落ちする癖はまだ抜けない。
夢の入り口に立っている、自分よりも若いあの子が羨ましい。
でも、私のこれまでが間違っていなかったことは胸を張って言える。
私のこれからはきっと明るいとも思っている。
そこまで含めて、最悪な夜だった。
社会人になって2週間が経った。
その日は自分の嫌なところが突然ぶわっと溢れ返ったような夜で、前述したようにとにかく最悪だった。
前向きな気持ちもあるのに、最悪だと思ってしまうことが最悪だった。
だから、パッと思いついた好きな曲に縋りついた。
それが、Teleの「Véranda」だった。
泣いた。好きな曲だということは、もう聴きまくって分かっているはずなのに。
「愛はここにあんぜ。
まだ見えない?
僕は待つよ。 地続きでパリに行けるまで!
もう最悪でやるせない夜は、 できれば僕に寄りかかっていて。」
この部分がずっと好きだったけど、もっともっと好きになってしまって、なんかもう、手放せない言葉だと思った。
地続きでパリ、何度考えたって絶対行けない。やっぱり最高って思った。
これから先だって、何度もこの曲に寄りかかりにこようと決めた。多分これからも、私は勝手に救われ続ける。
ちなみに、「Véranda」でシクシクと泣いたのが午前4時半。深夜も深夜。
この時間となれば、「鯨の子」も聴きたくなるわけで。
そのまま夜が明けるまで爆音で音楽を聴いていた。こんなことは初めてだった。
「君のタフさに全てを委ねないで。
自由を愛する事をやめないで。」
これまた好きな言葉を聴いていたら、私はいつ逃げたって、放り投げたって良いんだと思えて何だか安心して眠りにつけた。そう思えたから、逃げずにいられそうだった。
ここまでの文章を書いた1週間後「ことほぎ」が初解禁となった。
自己満足で書いた文章はしまっておこうと思っていたけれど、新曲を聴いたらもうダメだった。
社会人1年目の、ひとり暮らし1年目の、正しさに囲まれた仕事の私には刺さって刺さって仕方なかった。
あったかくて、柔らかくて、帰りながらボロボロ泣いた。
Teleの曲で泣いてしまうのは、多分聴くと安心できるからなんだな、と気がついた。
散々語ったけれど、私は元々、特段音楽が好きな訳ではない。
映画の方がずっと好きで、音楽はその物語の記憶を連れてきてくれるから聴くことが多かった。
だから好きなミュージシャンも、結局は好きな映画と結びついていることがほとんどだ。
エンドロールと好きな音楽の組み合わせは、最高の贅沢だと思う。
だからいつか、映画館のエンドロールの中で爆音で喜多朗くんの声を聴きたい。
でも一方で、彼の音楽と映画の記憶が結びつくことが少し勿体無い気もしている。
もうしばらくは、彼の言葉と声だけに救われていたい。
Teleの音楽が待ってるから、私は今日も眠りにつける。
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