【あかっぱのブラジル協力隊活動記】ブラジル編vol.7
【ブラジル最古の野球大会 アリアンサ大会】※備忘録
6/1、2に第77回アリアンサ大会が行われた。
この大会は1945年の終戦間もなくに始まり、コロナ禍など何年か行われなかった年はあっても、現存するブラジル国内の野球大会としては最古のものだそう。
「ブラジル=サッカー」
のイメージが強い中、ここアリアンサでは昔から野球が日系社会のなかで大事にされてきたことがわかる。
年を経るごとに形は変わりつつ、今は
第一、第二、第三アリアンサ、弓場
の4チームでの総当たりの対抗戦。
私は、住んでいる第一アリアンサのチームで出させてもらった。
ただ、実は週末はいつも弓場農場という日系の人たちが共同生活をしている農場でお世話になっているので、そちらで出ることも誘われたのだが、出場者が足りないという話を聞いた第一アリアンサチームのほうが出られる可能性が高そうだと思ってそっちに。
そのアリアンサ大会の初戦が第一アリアンサvs弓場
前評判では弓場が圧倒的な層の厚さで優勝筆頭。
その中、第一アリアンサは人数が集まるか不安さえある状況。
結果、8人が普段練習しているメンバーで埋まり、最後の一枠になんと自分を使ってもらった。
9番レフト。
実は内実、5月の頭に怪我をしてほぼ一ヶ月、走ることさえできなかったが、どうにかアリアンサ大会には間に合わせたいと思い、ギリギリ走れるまでに間に合わせた自分。
そんな自分が、日本ではほぼ野球をやったことはなかったものの、アリアンサに来てから毎週練習に参加していたのを見ていた監督さんが使ってくださった。
レフトの守備につけばとにかく緊張につぐ緊張。
打てば第一打席。ピッチャーは弓場のエース。とにかくストレートが速くて変化球もめっちゃ落ちる。
キャッチャーの弓場の人がいつもお世話になっている人で「次は〇〇だぞ」と言われながら、簡単にツーストライク。
追い込まれてから投じられたのはフォーク。
「あ、フォークだ」と気づいたときにはもう遅くて、なんとか当たった打球が運良く内野安打。
そこからなんだかこの日は運がついていた。
2-2で迎えた4回の裏。弓場の攻撃。
ヒットと四球などでノーアウト満塁の大ピンチ。
さらにバッターは四番。
センターのアリアンサ1の外野手から後ろに下がれ、との合図。
迎えた数球目。
打球がレフトとセンターの間に飛んできた。
センターが「SENSEI」と呼んだ。
その前から足が動いていて、打球に向かって走っていた。
そして
走りながら差し出したグラブにすっぽりボールが収まる。
「やったー」
つい掴んだことをアピールしてしまった瞬間
「SENSEI セカンド」
内野に投げろ、とセンターが呼ぶ。
ふと我に返って、とにかくショートに投げる。
すると飛び出していたサードランナーとファーストランナーが戻りきれずにアウト。
まさかのトリプルプレーでチェンジ。
ベンチに戻るとみんながハグで出迎えてくれ、自分も思わず声に出して喜んだ。
その後、弓場のミスもあり5-3で第一アリアンサが勝ち越し。
第三打席では、去年の暮にお世話になった弓場の人がピッチャー。追い込まれたあとの高めのストレートを振り抜いたら芯で捉えてショートの頭を越えるヒット。
最終的に、第一アリアンサが7-3で勝利。
自分個人としても4打数2安打。守備でもいいプレーができて、これ以上ない試合。
2日間に分かれた総当たり戦で、第一アリアンサは一日目は初戦だけだったのでその日は終わり、翌日、第二、第三アリアンサとの試合。
昨日のこともあり、監督さんが二試合目の途中から使ってくれたが、2打数2三振。
次の三試合目は最初から出させてもらったけど、2打数2三振、1四球。
守備でも昨日と似た打球が飛んできて、グラブには入ったのに、そのあとポロリとボールがグラブからこぼれた。
二日目はノーヒットかつエラー。
もう悔しいのなんの。
「昨日のはまぐれだったのか」って言われたくなくて、少しは打ちたかったのに全く打てず。でも、実は最初の打席からなんだか昨日のような「打てそう」って感覚がなくて。。。
でも、試合は他の人達の活躍で二試合連続コールド勝ち。
終わってみれば全勝での優勝。
他の人達のおかげで最高の結果。
そしてそして、極めつけは表彰式でなんと
『Lance decisivo de Campo』
で自分の名前が呼ばれた。なんの賞かわからなくて聞いたら
『試合の流れを変えたベストプレー』
なんだそう。
人生最初で最後のアリアンサ大会で、まさかの優勝&賞までもらってしまった。
自分は本当に、能力はないが運だけはある、と思ってきたけど、今回ほどそれを感じたことはない。
その夜、試合が終わって何時間もグラウンドでは、この2日間の野球の話。暗くなってもビール片手に話が尽きない。
グラウンドを閉めるとのことで、二次会を弓場でやることになり、そのまま流れでお邪魔すると案の定
「なんで弓場にいるのよ!」
「赤羽先生は弓場出禁だから!」
ブラジル人の人たちからは「Não 友だち」と。
子どもたちからは「先生、なんで弓場にいるの」「先生のせいで弓場負けたんだから」と。
その日は、弓場の人たちからひとしきり、いろんな言葉を言ってもらった。
でも、こんなにも言ってもらえることも普通ならありえない。
「有ることが難しい=有難い」
これ以上なく楽しくて嬉しい経験も
これ以上なくふがいなくて悔しい経験も
全部ひっくるめて経験させてもらえた。
そして、野球はそんなに甘くないってことも
感じさせてもらった。
そしてそして
自分はなんだか人の縁と運だけには恵まれているってことにも
気づかせてもらった。
自分は人生で最初で最後の(たぶん)アリアンサ大会。
これ以上ない、一生の経験をさせてもらった。
本当に感謝。
ありがとう。