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【あかっぱのブラジル協力隊活動記】ブラジル編vol.1

Boa tarde! あかっぱです(^^♪

7月31日に日本を発ち、現地時間8月1日からブラジル・サンパウロで語学研修をしておりました。

約20日間のサンパウロでの生活の中で感じたことがまたたくさんあるのですが、それはまたおいおい。。。

そんな語学研修が今日の午前中に終わり、今日の午後には1年前に私たちと同様ブラジルに派遣され、1年間活動してきた先輩隊員さんたちの中間報告会がありました。

その先輩の報告の中で、「はっ」とした瞬間があったので今日は久しぶりにキーボードを叩いています。

その先輩隊員は、もともと幼児教育でモンゴルに派遣予定だったのがコロナの関係もあり、ブラジルに、それも職種も幼児教育ではなく、青少年活動ということで、中学生くらいまでがいる学校での活動になった隊員さんでした。

そのお話の中でこんなことがあったそうなんです。

夏休み。(ブラジルで11月~1月あたりにあります)

とある公共スペースにものが散乱していて、そこを整理していいですか?と聞いたら、カウンターパートの先生から「あなたの好きなようにしていいよ」と言われたそう。

そこで、片づけを始めたところ一つの箱を見つけます。

その箱の中には、大きさの違うブロックが無造作に、雑多に入っていたそうなんです。

それを見て、同じようなおもちゃやブロックは同じ大きさに揃えて整理した方が子どもにとってよい、と日本で教わっていたその人は大きさごとにきれいに分けて、子どもが使いやすいように整理したそう。

そしたら、カウンターパートの先生から「これはダメ」と言われたそうなんです。


皆さん、なんでかわかりますか?


実は、その「ものが無造作に、雑多に入っている状態」に意味があったからなんです。

なんでも、その隊員さんがやったようにきれいに整えた状態を「当たり前」と思って育ってしまうと、ブラジルではたいていの場所・こと・ものが先の「雑多」な状態だから、その中で生きていけないから、あえてそういう場所を残していたんだそう。

その代わり、公共のスペースではない、個人のもの(文房具セットなど)はきちんと整理整頓するように指導してるんだそう。



この話を聞いて「なるほど」と思ったんです。

結局、「これが正解」というものってなくて、その「正解」って、TPO(時間・場所・状況・環境)によって変わるんだな、と。

そして、「目の前の子にとって何が幸せか」を考えたうえで出された結論が「正解に近い」んだなと思ったんです。







同時に、日本はよく「誠実で真面目」と言われます。その理由も、こうした「きちんと大きさごとに分けられて整理されたブロック」に象徴されているように感じてしまいました。

そうした環境で育つから「誠実で真面目」な人が育つ。

でも、その分、違いに寛容になれなかったり、同調意識が強くなってしまい異質を排除しようとする力が強くなりがちになってしまう。。。

逆に、「雑多」が当たり前の環境で育つから、ルーズで細かいことを気にしない正確になるけど、その分、違いに寛容になれる。。。

事実、ブラジルは多民族国家で、道を歩けば白人、黒人、中国、韓国、日系人、多種多様な人種・国籍の人が歩いています。むしろ、人種や国籍を意識しないのが「普通」で、そうした多種多様な人たちすべてを指してブラジルでは、本人も周りの人も「ブラジル人」という言い方をするそうなんです。



もちろん、たった一つの「ブロック」のことだけで

「日本人は・・・」
「ブラジル人は・・・」

なんてことを言うつもりは毛頭ないですが、少なからず日本にはない考え方の違いを感じました。


さてさて、大都会サンパウロでの生活もあと数日。

この研修ののちに、いよいよ任地のアリアンサという村(コミュニティ)に行きます。

アリアンサの広報もかねてブログを続けていきたいと思います。





最後までお読みいただきありがとうございました。

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