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映画『パラサイト』

こんばんは、あかっぱです(^^♪

今回、「映画のことならもろさん」というくらい映画に詳しいもろが主宰する映画会に初参加させていただきました。もろさんの映画会は絶対いいから出た方がいい!と言われてきましたが、そんな事前の高いハードルをものともせず、むしろそのハードルを100倍返しで上回る面白さでした!

そんな今回の映画会の映画は『パラサイトー半地下の家族ー』です。

今回は、この映画から学んだこと、そして映画を通して見えたあかっぱ自身についてまとめてみたいと思います。

過去に度々事業に失敗、計画性も仕事もないが楽天的な父キム・ギテク。そんな甲斐性なしの夫に強くあたる母チュンスク。大学受験に落ち続け、若さも能力も持て余している息子ギウ。美大を目指すが上手くいかず、予備校に通うお金もない娘ギジョン… しがない内職で日々を繋ぐ彼らは、“ 半地下住宅”で 暮らす貧しい4人家族だ。“半地下”の家は、暮らしにくい。窓を開ければ、路上で散布される消毒剤が入ってくる。電波が悪い。Wi-Fiも弱い。水圧が低いからトイレが家の一番高い位置に鎮座している。家族全員、ただただ“普通の暮らし”がしたい。「僕の代わりに家庭教師をしないか?」受験経験は豊富だが学歴のないギウは、ある時、エリート大学生の友人から留学中の代打を頼まれる。“受験のプロ”のギウが向かった先は、IT企業の社長パク・ドンイク一家が暮らす高台の大豪邸だった——。パク一家の心を掴んだギウは、続いて妹のギジョンを家庭教師として紹介する。更に、妹のギジョンはある仕掛けをしていき…“半地下住宅”で暮らすキム一家と、“ 高台の豪邸”で暮らすパク一家。この相反する2つの家族が交差した先に、想像を遥かに超える衝撃の光景が広がっていく——。

https://www.parasite-mv.jp/story.html

韓国の社会背景

「パラサイト」は韓国映画です。

皆さんは”韓国”を聞くとどんなイメージがありますか?

私のなかでは「日本のライバル」というイメージが強いです。

野球やオリンピックで競っているイメージだからでしょうか?

だからか、「日本に似ている」というイメージがあります。

しかし、韓国は日本以上に貧富の差が激しい国なのです。その象徴が「半地下」なのだそう。

例えば、この映画では半地下に住む人々がメインの登場人物として出てきます。この「半地下」というのはもともと北からの侵攻に備えて、自分の家にシェルターの代わりとして作ったものだそうです。その半地下を現在では貸し出し、そこで済んでいる人が現に今もいる、ということなのです。

そんな半地下の家の家賃は月約4万円程度なのだそう。

それに対し、劇中でも登場するような上流階級の人のような暮らしの場合、例えばソウルの1LDKに住むだけでも月40万円なのだそう。

こうした「半地下」「地上(上流階級)」に加え、劇中ではさらに貧しい「全地下」に住む家族も出てきます。

こうした韓国の貧富の格差という、社会背景を知っていると映画を見る視点が深まるのです。

しかし、これは韓国だからなのだろうか?

日本にも「部落差別」といった人権差別がいまだにあります。

このことについて次に書いてみます。

知らないことは悪いこと?

「部落差別」とは何かを話し始めるときりがないので今回は割愛させていただくが、この「部落差別」で大きな問題となるのが「寝た子を起こすな問題」というのがあります。

これは何かというと、「部落差別」という存在を知らなければそもそも「部落差別は起こらない」というもの。

つまり、部落差別を知らない子(寝ている子)にわざわざ部落差別を教える(寝た子を起こす)必要はあるのか、という考え方なのです。

ここでこの映画に話に戻ります。

劇中、上流階級の家族がキャンプに出掛ける場面があります。しかし、そのキャンプの途中、大災害並みの大雨になります。

それに対し、半地下家族の家は水浸しになってしまい、体育館に避難することになるのです。

上流階級家族は、そんな半地下の住民が避難していることさえ知りません。

同じように、半地下家族の父は劇中上流階級家族を「無邪気なものだ」と馬鹿にします。

つまり、お互い相手のことに対して「知らない」だけなのです。

しかし、「無知」は「上流家族」と「半地下家族」の間のどうしても拭い去れない「溝」をどうやっても埋めることができません。

そして、そんな「無知」の状態では、上流階級家族が半地下の住民のことを考えられないのと同じように、相手を「思いやる」気持ちは絶対に生まれません。

よく「あの人は思いやりがない」と言いますが、それはもしかしたらそこには「無知」という側面もあるのかもしれません。

このように、日本にも韓国にも「差別」「格差」という似た構造の問題があります。そして「差別」も「格差」も「無知」ゆえに「相手を思いやることができない」という面での共通点があるのかもしれません。

あかっぱの価値観は?

このように今回の映画会では、「パラサイト」という映画から、韓国の社会背景や「差別」「格差」の根底にある「無知」ということにまで考えを巡らせることになりました。

そんなこの「パラサイト」という映画であかっぱが一番印象的だったのが、半地下家族の父が上流階級家族の父を刺すシーンです。

それまで、上手に上流階級家族に寄生(パラサイト)し、上流階級と同じような生活を営んでいた半地下家族の父ですが、最後それまででたまりにたまった「何か」が溢れ、それまで父をとどめていた糸が切れてしまったように殺人を行うのです。

そこに私は生まれ持った「貧富の差」への劣等感を感じました。

いくら見た目的にはいいものを着て、いいものを食べられるようになり、上流階級の家で優雅に過ごしても、それはあくまでも表面的な裕福さであって、そこには埋められない「何か」がある、と気づいてしまったかのように。

あかっぱがなぜこのシーンに共感したのか。

それはあかっぱにも「埋められない何か」を感じるときがあり、それが劣等感につながるときが多々あるからなのだろうと思います。


相手のいいところだけに目を向けても、その人の真の姿は見れない


同じように、自分の至らない点(生まれもった差だと感じる点)を、なかったことにして、なにくそ精神で駆け上がってもそれは半地下家族のように、上辺だけのもので、長続きしないのかもしれません。

むしろ、そうではなく、上流階級家族が半地下家族のような存在を知るのと同じように、自分の至らなさにも目を向けることで豊かな人生にもつながる

できないのではない、ただ知らないだけだ

なら、知っていけばいい、経験していけばいい

そんなことをこの映画会から学びました。



最後までお読みいただきありがとうございました。

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