コミュニケーションセミナー ファイナル
こんばんは、あかっぱです(^^♪
今まで約1か月に渡ってコミュニケーションセミナーを受けてきたのですが、いよいよ今回、それがファイナルとなりました!
しかし、このファイナルセミナーがまあ濃かった!
もう、濃いーシチューを1000倍に濃くしたくらいに濃い内容でした!笑
正直、あかっぱの中で落とし込みきれてない部分もあります。
しかーし、だからこそまとめてみようじゃないか
サトシが、もらったばかりのピカチュウとともにいきなり四天王と戦いに行くかのような無謀な挑戦ですが、やってみたいと思います!
コミュニケーションの本質
今回のセミナーの内容はズバリ「コミュニケーションの本質」
これには、「人間の本質」や「心の本質(悟り)」など、哲学的・本質的な考え方がかかわっています。
しかし、その中であえて、一言でまとめるとしたら
コミュニケーションの本質は
思いやり
この言葉に尽きます。
さて、では「思いやり」とは何なのか、まずはそこから考えてみたいと思います。
思いやり=重い槍
「心」という漢字がつく言葉はたくさんあります。
「上心」「下心」「真心」…
「上心」という言葉を考えてみると…
例えば「この人の話しつまらなくてだるいなー」と思っていると、どんなに言葉で「素晴らしいお話でした」といっても、相手には「こいつは上心で言っているな」と感じる。つまり、「つまらない」「だるい」という「思い」が伝わってしまうのです。
そして、「心」は目に見えません。
ある人は心臓のあたりを指して「心」と言うでしょう。しかし、ある人は、脳を指します。しかし、決してレントゲンにもCTにも映らない。それが「心」です。
つまり、「心」は、「もの」や「行動」や「言葉」ではなく、「思い」なのです。
そして、漢字にはちゃんと意味があり、言葉遊びではないですが「思いやり」は「重い槍」であり、「重い槍」は投げたり、放ったりすることはできない。その代わりに、貫くことはできる。こう考えることができます。
つまり、大事に持って、最後まで「思いを貫くこと」が「思いやり」なのです。
「思い」の正体
では、人間にとっての「よい思い」とはなにか?
ズバリ、以下の3つです。
① 諸行無常の精神
② お蔭様の精神
③ 貢献の精神
① 諸行無常の精神
人間の本質を考えるにあたって、「なぜ人間は苦しむのか」という問いについて考えてみたいと思います。
例えば、カップルでのケンカの場面。
その原因の一つに、彼女が彼氏に抱くこんな感情はないでしょうか?
「私はこんなにあなたのことを想っているのに、なんであなたは私のことを想ってくれないの?」
親が子供に対してイライラする場面。
その原因の一つに、親が子供に抱くこんな感情はないでしょうか?
「なんでこれやっておいてって言ったのにやってないの?」
(「宿題やっておくって約束したじゃない!」「片づけなさいって言ったじゃない」)
こんな感情の背景にはすべて
すべてのものごとは自分の思い通りになる
という認識があるから起こることなのだ。
確かにそうですよね。
彼女は
自分が彼氏君を想ったら、彼氏君も私のことを想ってくれるはずだ、と思って、そうならないから、イライラしているのです。
片づけてって言って片づけていない子にイライラする親も、「片づけなさい」と言ったのだから子供は片づけるはずだ、と思っているのに、そうならないからイライラするのです。
言い方を変えれば「常なるもの」(こうすれば、こうなるはずだ)が「有る」と思い込んでいる、から苦しんでいるんです。
だから、逆に「よい思い」とは「常なるもの」が「無い」というマインドを持つこと、つまり「無常」といえます。
② お蔭様の精神
金八先生の名言「人という字は、人と人が支えあって生きている」ではないが、人は、自分一人で生きているわけではない。
私が今夕食に食べた美味しい美味しいチキンソテーだって「鶏を育ててくれた人」「鶏を絞めてお肉にしてくれた人」「お肉をスーパーまで運んでくれた人」「スーパーで陳列してくれた人」「レジで会計してくれた人」もっともっとたくさんの人の手を経て、あかっぱのもとにたどり着いていますよね。ほかのものもすべてそうです。
ダーウィンの進化論的に考えても、ミジンコは小さな魚に食べられ、小さな魚は大きな魚に食べられ、大きな魚は両生類に食べられ、両生類は鳥類に食べられ、鳥類は人間に食べられ、そんな人間の死骸を微生物が分解し、それをミジンコが食べる。そうした食物連鎖がある。
つまり、ミジンコだって、魚だって、両生類だって、鳥だって、人間だって、ほかの生き物がいなければ生きていない。
そうやって「自分はほかの生き物に生かされている」
これがこの世界の摂理です。
だからこそ、「自分はほかの人のおかげで生きているんだ」の精神が人間の根底にはあるものだと言えるでしょう。
③ 貢献の精神
食物連鎖のように、すべての生き物、もっと言えば鉱物や植物など、すべてのものは、自分以外のもののために存在しています。
つまり、
自分という存在は、自分以外の存在のための存在
と言えます。
しかし、人間は食物連鎖のピラミッドにおいて、頂点に君臨しています。
つまり、圧倒的に「ほかの生き物からもらう」(食べる)ことが多い生き物なのです。
では、私たちは「もらった分、なにに返しているのか?」
人間に
です。
つまり、
自分という存在は、ほかの人間のために存在する
これが「人間」の存在する意味です。
このことを、一般には「貢献」と言いますよね。
思いが伝わることがコミュニケーション
「よい思い」の正体である
① 諸行無常の精神
② お蔭様の精神
③ 貢献の精神
この3つを「放り投げる」のではなく、大切に「貫く」ことで、その思いが相手に届く。
その届いた「思い」が届くことそのものが、相手との「コミュニケーション」なのです。
セミナーの最後に、治療院を開業されている勝部さんがこんなお話をされていました。
「『どうやったらお金を稼げるか』を考えていた昔より、『どうやったら患者さんに喜んでもらえるか』を考えている今の方が自然と人が集まってきて、自然と売り上げが上がっている」
と。
目に見える「お金」ではなく、「お客さんが喜んでくれるためには」という「貢献の思い」を見ていたから、それが患者さんに伝わって、患者さんが集まってきたのだろうと思いました。
目に見えるものは安心します。
目に見えないものを追うことは不安ですし、大変です。
でも、その「見えないもの」を「ある」と信じることが大切なのだと、今回学びました。
「思い」は見えない。
だからこそ、「そこにある」「伝わる」と信じ、貫くことが大事なのだろうと思います。
そして、そうした「見えないもの」を信じるためには、まずは自分を信じる必要があります。
そして、自分を信じるためには、まずは自分が満たされていることが必要です。
そのために、小さなことで幸せを感じ、自分で自分の心を満たす「幸せの感度」を高くすることが、今のあかっぱには必要なことだと思いました!
そして、今回、この計6回のセミナーを受けて、大きくあかっぱは「マインド」「テクニック・スキル」「構造」「本質」多くのことを学びました。
しかし、すべて「自分一人」で得られれたものではありません。
一緒に学んだ尊敬できる「仲間」がいたからです。
まさしく「自分は周りの人のおかげで今いるんだ」と、セミナーが終わってから実感しています。
同時に、「あかぱという存在が、その仲間たちのための存在」であったセミナーだったとも思います。
まさに「思いやり」です。
コミュニケーションセミナーそのものがまさしく「思いやり」を学ぶ場だったのだと今気づきました。
そんな「場」と「人」、そして「出会い」に感謝です!
最後までお読みいただきありがとうございました。