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はじまりのうた

こんばんは!
あかっぱです。

今日は昨日の夜たまたま観て、「この映画めっちゃいい!!」って思った「はじまりのうた」という映画について書きたいと思います。

この動画を観るだけでもわかりますが、この映画はなんといっても「音楽」が素晴らしいんです。

はじまりのうた あらすじ

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ダンは、かつて有名アーティストを発掘し、数々の賞を受賞したような有名音楽プロデューサー。しかし、音楽業界の変容に対し自分の考えを貫こうとする姿勢があだとなり、自分が設立した会社をクビになってしまいます。さらには家族とは別居状態。

そんな状態に嫌気がさし、自暴自棄になり、酒におぼれるダンがたまたま入ったバーで出会ったのがグレタ。しかし、グレタもまた不遇の境地にあったのです。

グレタの恋人のデイヴはある映画の挿入歌を歌ったことがきっかけで一躍有名に。それまでは一緒に部屋で曲を作ったり、撮影したりしていたのがうそのように、スタジオで収録を続けるデイヴ。グレタはそこにコーヒーを持っていくだけような存在に。そんな中、グレタに追い打ちをかけるようにデイヴから出会って1か月のスタッフのミムのことが好きだと告げられます。(それも、デイヴの新曲が自分に向けられたものではないことに気づくことから。)

そんなどん底にいる二人が、何の因果か、バーで出会います。

ダンはグレタの才能に惚れ込み、契約を迫ります。

グレタは徹底して「自分のために音楽をしている」と契約を拒むのです。
しかし、ダンの説得もあり、意を決して、自分の音楽を世に出すことを決心します。

しかし、前の会社からは「デモを作ってこなければだめだ」と突き返されたダン。しかし、お金もない、ダンはスタジオでなく、ニューヨークの街のいたるところでゲリラ的に収録をすることを思いつき、実行に移していきます。

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その道中、グレタはデイヴが賞を獲得し、さらに有名になったことを知ります。しかし、そのデイヴはグレタの知っているデイヴではありません。髭を生やし、聞く人に合わせた曲を作っているデイヴに違和感を覚えながらも「死ぬほど愛していた」という気持ちに、もどかしさを抱きます。そのとき友人のスティーブは「今の想いを歌にしろ!」といい、曲を作り、デイヴに留守番のメッセージに残します。

その曲を聴いたデイヴは、グレタに「もう一度会おう」とメッセージを送り、二人は会って話をします。一緒に作った「さまよう星たち」を聴衆の盛り上がりを意識してバラードの曲をポップ調にしたデイヴに対し、グレタは「曲本来のよさがない」を一蹴します。デイヴは「君とこのまま話すためならアルバムを海に捨ててもいい」とまでいい、グレタに再び関係を戻すことを提案しますが、グレタは自分とは違う道を行くデイヴに対し、自分は自分の道を進むことを宣言します。

そして、ダン、グレタらのゲリラ収録で出来上がったアルバムをダンの元会社に持ち込むと、手のひらを返したかのように「これなら映画の挿入歌にできる」と言われます。しかし、グレタは自分たちで0から作った曲なのに会社に利益の9割を持っていかれること、自分たちの曲がリミックス(編集)されることに頑なにNOを突きつけます。

そんな中、グレタはデイヴから自身のコンサートの招待を受けます。グレタが観に行くとデイヴは、グレタと一緒に作った「さまよう星たち」を、グレタのアレンジのまま歌いあげます。しかし、グレタはコンサートの途中で帰ってしまいます。その帰り道、自転車に乗るグレタの表情は何とも言えません。でも、自転車を漕ぐグレタの、悲しいような、何か吹っ切れたような表情は、あかっぱの中に何かを迫ってくるようでした。

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その後、グレタはダンのもとを訪ね、「契約はしない」といいます。
グレタの申し出を快く引き受け、二人は曲をネットで1ドルで配信し、売り上げをメンバーで均等に配分してしまいます。

その結果、ダンは復帰した会社を再びクビになります。しかし、ダンはその後、家に戻り、奥さんとのよりを戻します。しかし、グレタのその後は描かれません…

あかっぱ的に思うこと

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「はじまりのうた」

もともとの題名は「Begin Again」

直訳すると「再生」や「再出発」ということでしょうか。

この映画は、何事にもうまくいかない、人生のどん底にあった「ダン」と「グレタ」が、自分たちの信念を貫いた結果、どん底から這い上がり、再出発をする、という「人生、捨てたもんじゃない」というメッセージ性のある映画のように思います。

冒頭の数分でダンは、仕事はクビになり、家族には冷たくあしらわれ、しまいに車はエンストする、という最悪の状況が描かれます。しかし、グレタとのアルバムが完成すると、会社は一変、「素晴らしいアルバムだ」と褒めたたえます。にもかかわらず、最終的に二人は「利益」や「利権」に縛られない「自由」と「信念」を貫き、ネット配信という方法を選びます。この、なんというのでしょうか、「下剋上感」とも、「自分たちの信念を貫き通すかっこよさ」ともわかりませんが、ダンとグレタの姿には、スカッともしますし、どこか勇気をもらいます。

しかし、あかっぱがこの映画に惹かれたのはそれだけではないなと感じました。

グレタ、デイヴ 二人を分けたものは

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そこで、自分の心を考えてみると、あかっぱが惹かれたのはダンとグレタの「好きにとことん向き合う姿」なのかもしれません。

ゲリラ収録の最中、ダンやグレタがとにかく楽しそうなんです。もうそれこそこどもが時間を忘れて遊びまわっているかのような。「自分たちの音楽を楽しんでいる」という思いが溢れてきます。

そうして作り上げたアルバムが認められるのです。

それに対比するかのように、デイヴは自分の「好き」ではなく聴衆の「好き」を求めます。その結果、確かに有名になり賞も獲ります。しかし、グレタに言われ、コンサートではグレタに言われた通り「さまよえる星たち」をバラードで歌います。正直、デイヴのバラード調の「さまよえる星たち」はめちゃくちゃいい歌です。聴衆も曲に聞き浸っています。にもかかわらず、グレタはコンサートを後にしてしまうのです。

その理由はわかりません。

グレタには、デイヴがいかに「さまよえる星たち」をもとのバラードで歌っていても、そこにデイヴの「信念」があるようには見えなかったのかもしれません。グレタにとってデイヴはすでに「違う道をゆくもの」だと確信したのかもしれません。

このグレタとデイヴは「自分の信念を貫くグレタ」と「世間体に取り込まれたデイヴ」と対比的に捉えられます。

そして、あかぱ自身は、グレタらに「かっこよさ」や「憧れ」を感じつつ、自分は「デイヴの側の人間だ」と思っているのかもしれません。

世間的には大成功を収めるデイヴ。しかし、デイヴは自身の歌にどこか違和感を抱いています。

それに対し、グレタとダンは終始、自分たちの「信念」を貫き通します。

人生を楽しんでいるのはどっちなのでしょう?



曲を聴くだけでも心に迫るものがある、素敵な映画に出会えました。良い映画との出会いに感謝です。



最後までお読みいただきありがとうございました。





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