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嘘なく『大丈夫』と言える事

久々に徒然なるまま、長い文章を書きたくなった。ちょうど新しく始めた仕事がひと段落して、新しい繋がりや、日々の感動、自分の大事にしたいものが明確化して、やり始めたいことが、試したい事が毎日毎日溢れてくる。

言ってしまえば、私はいま、すごく幸せを感じている。

以前(2年ほど前までかな?)は、幸せになりそうになると全力で逃げていた(笑)「幸せになること」が怖かったからだ。『え?私が幸せになる?何かのフラグ??』そう思っていた。

そう思うほどに、私の人生には悲しいことも、やりきれないことも多かった。
(悲観でもなく、卑下でもなく、事実として)

そして、『こんな私は幸せになってはいけない』と、
心の奥底でほんとうに、そう思っていたのだった。
そんな私にある時、チャンスが舞い降りた。
(今世だけではなく人生のターニングポイントだった。

でもコレは私の中で、とても大切にしたいモノだから、
詳しくは語れないが、あの2ヶ月は真摯に純粋なキモチで向き合った、忘れられない時間になった。

そこで、あらゆるものから赦され、
最後には自分を赦すことができた。
(きっと、いくつもの時代の中で初めてのこと)

2022年はなんて長いんだろう。
アレもこれも2022年に起きたことなんて信じられない。人との出逢いも(再会と言った方がいいくらい「前から知っている」人にしか出逢わなくなった。)、自分の世界を生きている実感も、自分の役割の明確化も、何が起こっても幸せというものは離れていかない安心感も。

全部全部2022年に運ばれてきた。
32
歳という年はなんとも不思議な年だ。

30.31歳前半なんてほとんど記憶にない。
(コロナが来て、仕事はクビになり、保証もないまま放り出されて、借金も返せないし、借金は増えて、身体が動かなくなり、引き篭もり、今だからわかるが、バセドウ症状が悪化して、生理は止まり、筋肉はなくなり、歩けなくなり、手が震えて、字も書けないし、スマホも持てなくなった。ただ1日が終わるのを息を殺して、東京の4畳半の監獄のような部屋のベッドの上で過ごした。本当に起きる度に一日の長さに絶望して、朝方眠りにつく頃一日が終わったことに安堵した。)

今の私を見て誰が想像するだろう?
誰にも連絡出来ずにただただ恐怖に怯えて、なんとか、かろうじてベッドの上で命を繋いでいた2年前の私を。

ギリギリのところで救われた一本の電話を。

誤解をしてほしくないのは、不幸自慢でも、褒めてほしいわけでも、尊敬を集めたいわけでもなく、ただそれが起こり、家族、友人、人に救われ、今の私がいる事実。それだけだ。

多かれ少なかれ、誰もが誰にも言わない経験がある。
今までの人生がある。いろいろある。主観的な出来事、
感情であるからして、比較するものではない。

でも底(前述したものだけではなく)を、知っているという事が、私にとっての財産であり、宝である。

だから、わたしの『大丈夫』には力があるらしい。

私に大丈夫と言われると、大丈夫な気がしてくる。
『サイさん(ちゃん)の大丈夫ってすごいんだよ。』
と嬉しいことによく言って貰える。

無責任に言ってるわけではなく、人と対面し、
その人がどんな状態でも、『絶対に大丈夫』と
私は知っている。信頼している。ただそれだけ。

『大丈夫』を嘘なく言えること。

それが私の人生がくれた最大のギフトだと思う。

私には、私の幸せに責任がある。
私には、自由に生きることに責任がある。

私の在り方が、私の出逢う(再会する)人達の人生を
変えるほどの力を持ってることを、私は知っているから。私は幸せで居続けようと思う。わたしなりの自由をどんどん赦していこうと思う。

大切な人が大切な人の大切な人と笑い合える世界。
そんな世界を私は実現させていこうと、そう思う。

2022年7月29日

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