東京演劇集団風「Touch〜孤独から愛へ」
2023年5月、東京演劇集団 風のコロナ禍以来まる3年ぶりの東京公演開催。
公演初日である5/3(祝金)に、劇場へ足を運んだ。
作品の詳細は上記劇団の公式記事から見てもらえたらと思う。
私にとっての劇団風は、亡き母 木村奈津子の所属劇団であると共に、私にとって家族のような存在である。生まれる前から劇団のメンバーに囲まれ、風の芝居を観て育ってきた。全作品ではないけれども、物心がついたかつかないかの頃からの上演作品はほとんど観てきた。
風の芝居が好きだし、レパートリーシアターの劇場空間も、ロビーにもピロティにも(事務所スペースも)、たくさんの思い出と思い入れがある。
今回は、そんな私の、極めて個人的な感想。
(非常に長くなります!)(以下敬称略)
今回の上演作、Touchについて
風の活動の柱とも言える学校巡回公演で、「ヘレン・ケラー」「星の王子さま」と並んでロングラン、そして世代を超えて上演されている作品。風の歴史の中では、ざっくり分けて3世代目のキャストで、このキャストでの東京公演は初めて。
とにかく新鮮!この一言に尽きる。
柳瀬太一演じるハロルドは、陽気で狡猾で人間味がある。そのキャラクターで数々の人を巧みに騙し、煙に巻き、渡り歩いてのし上がってきた実業家という空気がぷんぷんする。その中でトリートとフィリップに対して、最初の絡みから裏表なくまっすぐ向き合い、手を広げて見せ心を通わせようとする。柳瀬自身の訛りと相まって、すごく人間くさい。いい意味で。
蒲原智城のトリートは、とにかくまっすぐで熱い。若く、心の炎の中には闇がない。恐喝や窃盗で弟フィリップのために生計を立てるのも、それが性に合っているというより、一番わかりやすくて目の前にあるから、という雰囲気がある。純粋で、だからこそ非行の裏に悪意がなく、爽やかさまである。今までの風のTouchと一番大きく変わったと感じる点かもしれない。
石岡和総のフィリップも、純粋でフレッシュという点では蒲原と共通する。目の前の人、出来事に対して純粋な感情と好奇心を見せ、そして思慮深い。聡明な彼の中に、知識での裏付けはないにせよ、彼なりの論理と哲学があるのだろうと感じる。ハロルドの登場によって一気に世界を知り、そのままあっという間に羽ばたいていってしまう、そんなトリートにとっては脅威や不安を強く抱かせるような賢さと、軽やかさを感じた。
なによりも印象的だったのは、椅子に縛られたハロルドと監視を命令されたフィリップが会話をし、打ち解けていくシーン。今までの風のどのTouchよりも、心を通わせるまでの時間が早い!!
"デッド・エンド・キッド"に何かしてやりたい、自分の全てをあげてもいいというハロルドと、家の中でしか生きられず世界に飢えていたフィリップ。お互いを求め合うように、お互いの心を埋め合うように、急速にそして自然に。それぞれに必要で、出会うべくして出会ったのだと、そう感じさせられるシーンだった。
あともうひとつ。夜の散歩から帰ってきたフィリップが、トリートと会話するシーン。トリートは、その前のシーンでハロルドの指示を守れず感情を抑えきれず、ぶち当たった自分という大きな壁と葛藤している最中。対して、フィリップはハロルドに地図をもらい、初めて地下鉄に乗って、自分ひとりで家に帰ってきて、世界が開けた直後。フィリップはトリートに旅に出ようと思うと伝える。
この旅に出るのニュアンス。私には、石岡演じるフィリップが今までずっと自分の中に貯めてきた世界への憧れと渇望を、ハロルドと出会ってからの時間で大きく希望に昇華させ、散歩という時間の中で世界と出会いもっとたくさんのものと出会いたいという、そんな壮大で大きな意味のある「旅」に聞こえた。ずっとずっと前から、彼は家の中ではない世界を欲していたと、そう感じられた。
それに対し、重度のアレルギーで外に出られない(と思い込んでいた)弟のために非行を繰り返し生計を立てるのが自分の世界のすべてであったトリートは、ハロルドもあくまでその世界の一部であって、フィリップと離れることは自分の世界が壊れてしまうことだと、そんな風に感じた。これも、今までのTouchとはまったく違う、新鮮な印象だった。
(大きく上演台本が変わったりはしてないので、俳優たちが見せる役同士の関係性の変化による印象の違いの話。しかも本当にあくまでも私個人の感想です。でも、この見る度に受ける印象が変わるのも、作品を繰り返し上演するレパートリーシアターの良さだなあと思います。ジャズなどでスタンダードナンバーを繰り返しいろんな人と演奏するのとも共通点がありますね。)
バリアフリー演劇について
障害の有無に関係なく、あらゆる人が見て聞いて触れて、劇場空間を体験する。風のバリアフリー演劇は2019年から行われている。
開場後、舞台には自由に上がって、歩いて触って見ることが出来る。出演する役者や手話通訳、スタッフと直接話しながら、実際の舞台を感じることが出来る。
観客の着席が終わると、舞台説明が始まる。バリアフリー演劇の主旨、舞台手話・字幕・音声ガイド、舞台上の配置・大道具小道具、各役の服装や声・足音の説明。これは通常の舞台にはない、バリアフリー演劇ならではの時間。言い方が良くないかも知れないが、健常者しかいない環境ではそれを知ることもないので、いろんな人がいていろんな方法で工夫されて社会が出来ているのを知る。素敵な時間だなぁと思う。
上演中の特徴としては、舞台手話・字幕・音声ガイドが入ること。
特に、舞台手話に関しては、観たことがない人も多いと思う。舞台上を駆け回り、時に役者に絡み、一緒に芝居を作りながら、作品をリアルタイムで手話通訳していく。これはもう、4人目のキャストと言っていいだろう。
小島祐美の舞台手話はとてもコミカルで、表情豊か。そして、役者と同じく作品を演じながらも、舞台上から観客とのコミュニケーションを欠かさない。手話通訳でありながら、しっかりと作品の一部になっている。
また、舞台上のセリフのやりとりがない動きなどに関して、音声で補助説明を行う、音声ガイド。辻由美子がリアルタイムで行っている。そのほか、セリフや音楽などは舞台上部に字幕が表示されていて、これも役者たちに合わせてリアルタイムに映されていく。字幕では、芝居だけを観ていても説明されない細かい部分の言及があったりして、字幕を見て初めてそういうことか!と知る部分もあるのでこれはこれで面白い。
もちろん、通常の芝居以上に構成要素が増えるので上演のハードルなどは高いとは思うが、この素晴らしい取り組みが続きさらに発展し、社会全体で劇場体験が身近なものになること、そして劇場での体験をより多くの人に味わってもらえるようになることを願っている。
3年ぶりの東京公演
こんなにも長く東京公演が開催されない期間があるなんて、コロナ前も、コロナ禍においても、まったく想像出来なかった。世界中が新しく現れた脅威に対して右往左往し、あっという間に3年が過ぎてしまった。
私にとっては、この3年は特に重い。
3年前の2020年2月、ヘレン・ケラーのバリアフリー公演を目前に、母 木村奈津子は脳出血で倒れ重体となり、本番の日を劇場で迎えることが出来なかった。 そして、その後急速に拡大した新型ウィルスにより、風はヘレンの公演以降全ての東京公演を中止せざるを得ない状況になった。
計画しては断念を迫られ、そしてようやく今年、拠点劇場での再開公演の開催。
人生のほとんどすべてを演劇と共に歩んできた母。亡くなる前はそれこそバリアフリー演劇の展開に注力し、ヘレンのバリアフリー公演には音声ガイドとしてキャストについていた。
思い入れのある劇場。思い入れのあるバリアフリー演劇。共に過ごしてきた仲間。劇場にあふれる観客の声や拍手。風こそが彼女の居場所だった。
開演前に、そして終演後に。
何故か涙が止まらなかった。
もちろん私自身が劇場の再開を喜んでいるのもあるが、それ以上の感情があふれていた。その感情を、私は言葉にすることが出来ない。嬉しさとも悲しさとも感動とも違う。
なんだかよくわからないけど、とにかく涙が止まらない。
不思議な感覚だった。
おわりに
舞台に、客席に、ロビーに、ピロティに、
演劇を通じて混ざり合う人々の姿に。
再開と再会に。心からおめでとう。
これからまた生まれていく、新しい出会いと創造を願って。