私たちは叩かれて育ってきた。
私たちの世代、昭和40年代の子供たちは、
悪いことをすると親に叩かれて育った、
という人がとても多い。
あの頃は
言うこと聞かなければ叩いて叱りつけるのが
ポピュラーな親の教育の仕方だった。
しかし、考えてみれば
叩くなんて、他人同士ならありえないし
子供なんて親よりも力は弱いし
なんて酷かったのだろうと思う。
そして、
最近よくSNSなどで耳にする。
「叩かれて育ったので、自己肯定が出来ない」
「叩かれて育ったので、自分の子供をどう育てて
良いのかわからない」
叩かれて育ったのは、
女の子の方が多いように思うのだが
気のせいだろうか。
私も叩かれて叩かれて育ってきた。
3人姉妹の長女だったが、
私は母の変わりのお手伝いさんだった。
妹たちは
なにも言われないのに
私は家のことをしないと
罵倒された。
「家のことはなにもしない」と。
私は、子供を作らないことを
選択した。
育て方がわからなかったし、
どう育てても上手くいかないだろうと
思った。
代わりに
保護犬をたくさん
養ってる。
でも、私は
自己肯定感はあると思うし、
自分も好きになれた。
でも、そこに至るまで
滲む滲む努力をしてきた。
そして
自己の幸せを掴むことに
成功していると思う。
未だに自己肯定感と闘っている人と
なにが違うのだろうか。
なんで私は
自分に自信を持つことが
できるようになったのだろう。
私は、思う。
私は、親から、
酷く叩かれた親から
完全に離れた。
独立した。
それも
結構若いうちから。
そして、
なんでも、全部
自分でやってきた。
受動的ではなく、
能動的に。
そして、社会で認められるよう
ありとあらゆる手段で
自己を磨いて研いで
社会から承認されるよう
磨ききった。
私のまわりに
親の面影は
一切なしに。