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覚えておきたいこと・忘れたくないこと2020.1月からの記憶 その3


2020年の主に2月以降、どんな公演がいつごろキャンセルになったのか、それをどんな気持ちで受け止めたのか。
個人的な記録でいろいろと抜け落ちもあるかと思うのですが、自分の心覚えとして書いています。
前回はこちら。


2020年2月末から3月はじめのこと


2月27日の夕方。
政府が突然、全国の小中高校生に対し、3月2日からの一斉休校を要請した。

子どもさんのあるご家庭から「えーーーーー!」「急すぎるーーーー!」
という叫びが乱れ飛んでいたそのころ、われわれは出張の準備をしていた。

翌日の桂文珍師匠『国立劇場20日間独演会』@東京国立劇場 へ向かうためだ。

前日の26日。

「全国的なスポーツ、文化イベント等は大規模な感染リスクがあることを勘案し、今後2週間は、中止・延期または規模縮小等の対応を要請する。」

との要請が出て、大きなコンサートやライブが軒並み中止となった。


おとなりの小劇場で行われる尾上菊之助さんの歌舞伎公演『通し狂言・義経千本桜』や、国立演芸場の上席・そして中席の『松之丞改め六代目神田伯山 真打昇進襲名披露興行』は、この時点で3月15日までの休演を決めている。

また、歌舞伎座・南座・明治座の歌舞伎公演も、3月10日までの公演中止が発表された。
このころはまだ先がどうなるかわからなかったので、小刻みな日程で中止が発表されていたのだ。

とはいえ、大阪の繁昌亭や動楽亭、東京の国立演芸場以外の寄席はみんな開いていた。

文珍師匠の会は国立劇場の主催公演じゃないしなぁ…どうなるんやろう…とドキドキしつつ、もしも中止になったら東京までの新幹線とホテル、キャンセルしないとあかんしなぁ、と公式Twitterの発表を待っていたところ、27日の夕方に
「予定通り開催致します」
とのツイートがアップされた。

ただし「感染拡大の状況を踏まえ、来場が難しいお客様には払い戻しの対応を致します」とのこと。

開催については内からも外からも、いろんな意見があったのだと思う。

「この時期、なぜ中止にしないのか」という意見。
「楽しみにしていたのだから開催してほしい」という意見。

一概にどちらが正しいとも間違っているともいえない。
どちらの道を選んでも、反発の声はある。
そんな中、開催の決定が下された。

翌日の28日。
朝10時10分発ののぞみへ乗り込む。車内は貸し切りってほどではないけれど、空いている。もちろん、感染予防のためにマスク必須。
「ちょっとこわい」という気持ちで新幹線に乗ったのは初めてだ。


昼すぎ、東京に到着。そのまま地下鉄で半蔵門の国立劇場、まずは楽屋へ。

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ただでさえ、前代未聞の大きな規模の落語会。
その二十日間の初日となれば、緊張感があるのは当たり前だ。

その上に、ギリギリまで開催するか中止・延期にするか、協議が重ねられたのだろうからなおさらのこと。
少し案じながら開演前のご挨拶にうかがうと、師匠やスタッフの方には少しお疲れの様子もみえたのだけれど、楽屋には意外なほど穏やかでやわらかな空気が流れていた。

なにごとも、やるかやらないか判断するまでが胃が痛くなるほど大変なのであって、いったんこうと決めたらもう、腹が据わるのかもしれない。

楽屋にいらしたある落語家さんが
「みんな繁昌亭の夜席の自主公演、中止せんとがんばってんねんなぁ。
 なんか…自分だけ早よ中止に決めてしもて…」
と、少しショボンとされてらしたのが印象的だった。

客席へまわると全体的に6割ほどの入り。わたしの前の座席は、団体でお越しになる予定だったのだろうか、一列ズラリと空いていた。
本当ならば完売・満席で、お祝いムードの中で迎える初日だったのに、もったいないけど仕方ない。

初日の演目

ご挨拶      桂 文珍
手水廻し     桂 楽珍
新版・豊竹屋   桂 文珍
  子は鎹         笑福亭 鶴瓶
       中入
らくだ      桂 文珍


冒頭のご挨拶で、文珍師匠は白衣に身をつつんだケーシー高峰スタイルで登場。
「このご時世に、ようこそお越しくださいました。どうぞ、マスクを着けたままご覧ください」

まだそんなに、飛沫感染がどうこう言われていなかったころのこと。
マスクをしたまま見たら演者さんに失礼なんだろうか…けどなぁ…という、お客さんのとまどいに配慮しての発言だ。

「お客さまのお顔が見えない分、本当に楽しんでいただけているのか、笑っていただけているのかが、こちらからはわかりません。マスクがヘコヘコッと動くのだけが頼りです。どうぞマスクをヘコヘコさせるぐらい笑ってください」。

このひとことで客席が「笑っていいんやぁ」とホッとゆるみ、みなさんマスクをヘコヘコさせていらした。

この日のゲストは笑福亭鶴瓶師匠。

以前、鶴瓶師匠の『子は鎹』について書いたものがこちら。


文珍師匠は『新版・豊竹屋』『らくだ』ともにゆったりと、かつパワフルな高座で、さすがにお疲れだったのでしょう。終演後、一杯飲みに、とはおっしゃらず「…帰って寝ますわ」と会場を後にされた。


2日目。
この日、吉本興業が3月2日からの主催公演・イベントの中止、延期を発表した。


今まで「雨が降ろうが槍が降ろうが小屋だけは開ける」というスタンスだった吉本の劇場が、公演を中止するとは。

実はこの日、楽屋にわたしでも知っている吉本の売れっ子若手漫才師さんが「勉強させていただきます」といらしていた。
聞くところによると、土日の余興が吹っ飛んでしまったのだとか。
こんな忙しい人まで…と正直、驚きを隠せなかった。

この日も客席は5~6割の入り。
会場内でばったり知人にお会いしたが、マスクが手に入らないということで、手ぬぐいにクリップ?でヒモをひっつけた簡易マスクを使用しておられた。

2日目の演目。

ご挨拶      桂 文珍
天災       桂 米輝
新版・七度狐   桂 文珍
火焔太鼓     桂 南光
       中入
   女道楽      内海 英華
けんげしゃ茶屋  桂 文珍


この日は桂南光師匠がゲスト。
うちの師匠・小佐田定雄が上方流にアレンジした『火焔太鼓』を披露、東京でも大爆笑の渦を巻き起こしていた。

文珍師匠は、トリネタの『けんげしゃ茶屋』で、大阪のお茶屋の雰囲気をしっとりと出してサゲを言い終えたあと、緞帳をふたたびアップ。
初日にも流したクイーンの「ドント・ストップ・ミー・ナウ」に乗せて、お客様に一礼を。


「ドント・ストップ・ミー・ナウ」、落語をやりたい気持ちが止められないという思いがこめられていたのだろう。
お客様からは惜しみない拍手が送られていた。


われわれはその日、東京駅近くのKITTE内・資生堂パーラーでいちごパフェを食べたあと満足して帰阪した。

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そして3月4日。

20日間独演会の前半戦は公演なかばにして最終日を迎え、3月5日~8日に
ついては振り替え公演が行われることが発表されたのだった。

続く



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