お父さんが好きだ
そういえば,小学校低学年の頃
「お父さんが好きだ。」
と決めたことを思い出しました。
記憶の映像は冬。
葉っぱが落ちた木がたくさん立っている公園の前で
タクシーから降りる時
「ああ,ぼくはお父さんが好きだ。」
と思いました。
もともとへそ曲がりな性格なので
たいていの子は
「お母さんが好き。」
と言うので,ぼくは逆をいってお父さんにしようと思ったのか
とにかくこれから先,
「『お父さんかお母さんかどちらが好き?』
と聞かれたら,お父さんが好きと答えよう。」
と『決めた』覚えがあります。
とにかく昔は面白く優しい父でした。
毎晩,玄関のチャイムが
《ピンポーン,ピンポンピンポン!》
となると父が返ってきた合図,それが鳴るとぼくら3兄弟は玄関に飛び出して行きました。
父はよくおみやげで《お寿司》とか持ってきてくれたので,それ狙いというのもありました。たまに『おみやげ』と言って包みを出すとお弁当の缶だけだったこともありました。そういう面白いことをしてくれる父でした。
仕事が早く終わって早く帰って来た時には
「映画見に行こう!」
と言って,映画を見に連れて行ってくれました。
ぼくら兄弟が大好きな怪獣映画でした。
夜タクシーで帰って来るとぼくはわざと寝たふり。
お父さんは
『仕方がないなあ』
と言いながらそのままだっこして家まで運んでくれました。
父は結構ハンサムでした。
母はそれなりの顔なので,どうして父は母と結婚したんだろう? と失礼にも考えていました。
後から聞くと,逆に父の方が積極的だったという事なのでますます不思議でした。
女は顔じゃないんだなあ。
と,昔のぼくは思いました。
今はそんなの当り前です。そんなこと思ってません。
小学校高学年の時,
先生が
「この中で,お父さんに叩かれたことない人?」
とみんなに聞きました。
(昭和ですねえ。今親が子を叩いたら通報ものです。)
「はい!」
と手を挙げたのは,なんとクラスでぼくだけでした。
先生もクラスのみんなもびっくりしていました。
『え? みんなお父さんに叩かれたことあるの?』
ある晩
家で父の同僚が集まってみんなで飲んでいました。
ぼくは父親に叩かれようと(何をしたのか忘れましたが)
ふざけて,酔っ払った父に
「こ~ら。」
と頭を叩かれました。
全然痛くはなかったけど,
「やった~!」
と喜んだ記憶があります。
そんな優しい父も
だんだん変わっていきました。
兄がなかなか勉強しなかったので
「お前,ちょっとお兄ちゃんが勉強してるかどうか見てこい。」
と,ぼくをスパイに使ったり,
いつもフラフラしている弟を怒ったり
(あれは誰でも怒るわな)
ぼくの帰りが遅いと
「何時だと思ってんだ!」
と怒ったり。
(成人してた大人のぼくが11時に帰ったんですよ)
若いときは組合活動に熱心で
ストとかなんかよく組合活動して処分され
送られてきた処分の通知書をまるで勲章の様に自慢げにみんなに見せていましたが
後に体制側に回った時は逆に組合活動に否定的になり,ことあるごとに文句を言ってました。
母に
「変われば変わるもんだねえ。」
と呆れられていました。
歳を取りたくはないもんです。
でも偏屈なじいさんになったということを書きたいのではありません。
ぼくのために,家族のために,みんなのために
愛に溢れたことをたくさんしてくれました。
社会的に表彰されたことも何度かありました。
ここに書ききれないほど素晴らしい人でした。
カトリック信仰にも熱心でした。
神を信じ,死んだら天国に行くと信じていたので
死というものを最後まで全然恐れていませんでした。
ぼくは
『お父さんが好きだ』
と決めたんでした。