「大正ロマン昭和モダン展」記念講演会まとめ②

~藍色茜色のおそろいベレー帽 May 30 [Sat], 2015, 22:46~

みなさまごきげんよう。
間が空いてしまいましたが、弥生美術館学芸員・内田静枝先生の「大正ロマン昭和モダン展」記念講演「大正~昭和初期の少女雑誌の世界――淳一、かつぢ、村岡花子など」のレポート第二回です。

イントロダクションののち、「大正~昭和初期の少女雑誌の世界」ということで、明治時代後期に発刊された『少女界』に始まる少女雑誌の歴史や、人気を博した雑誌の特徴、構成内容や活躍した画家たちについてお話しいただきました。
「人気のあった雑誌4選」として挙げられていたのは、おなじみですが

『少女倶楽部』(大日本雄弁会講談社)
『少女画報』(東京社→新泉社)
『少女の友』(実業之日本社)
『令女界』(宝文社)

たとえば『倶楽部』は小学校高学年から女学校低学年を読み手に想定した教育的で真面目な雰囲気で、『画報』は編集方針が揺れ動きがちではあるけれど昭和5~6年はハイセンス。
『令女界』は女学校高学年から結婚前の女性向けで、恋愛に関しての記事も見られます。
『友』については…言わずもがな、という感じ。やはり内田先生の思い入れの強さは他の雑誌とは一線を画すようでしたね。
なお、少女雑誌史については今田絵里香『「少女」の社会史』にも詳しいので、ご興味のある方はぜひ一度お読みくださいね。

次に、雑誌の構成について。
表紙/口絵/写真グラビア/少女詩/小説/まんが/実用記事/読者投稿欄/ふろく――と、順に写真資料を交えてご説明いただきました。

今でこそ雑誌はフルカラーですが、当時はカラーページなんてほんのわずか。
その希少で美麗な口絵を切り抜いてとっておいていたおばあちゃま方が多々いらっしゃるそうです。
「わたしにもしものことがあったらきっと捨てられてしまうから…」と弥生美術館で寄贈を受けることもあり、NHK朝の連続テレビ小説「おひさま」の小道具として使われたのもそのコレクションの一部だとか。
井上真央ちゃん演じる主人公・陽子の支えになるものとしてお部屋に飾られた淳一グッズは、そんな背景があったのですね。
また、明治41年の『少女の友』のはじめてのグラビア写真は、柳原白蓮の姪御さんであったことが最近わかったそうです。
「花子とアン」でいうと、蓮さまをいじめていたお兄さんの娘さん、ということになります。

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ふろくについては、『「少女の友」中原淳一昭和の付録お宝セット』の復刻版実物を提示しながらのお話。
いまは雑誌の付録というと、バッグ、文房具、化粧品等々なんでもあり状態ですが、当時は紙しか使えないという出版上の規制がありました。
そこで『少女倶楽部』は、ふろくのサイズをどんどん大きくすることで他誌に対抗。
背丈ほどもある紙でできた羽子板…なんてものもあったそうです。
そんななか、我らが淳一先生の『少女の友』は、少女には少女らしい実用的で美しいものを、と紙での表現を追求。
その思想から、細かく形が切り取られたカードや、バースデイ・ブック、啄木かるた等々の伝説的なふろくたちが生まれたのでした。

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企画展で展示もされていた、『少女の友』昭和14年1月号のふろく「ランド・ゲーム」は、日中戦争のさなかの発行で軍部からの圧力も高まる中、世界各国の文化を覚える遊びとしてつくられたものです。
一見軍国少女教育的なふろくではありますが、淳一は世界の言葉の文例として「友情」を選びます。
それは、戦時中であっても少女同士はいがみ合うことなく友情を育んでくれたら、という淳一の願いが込められたもの。
内田先生は「雑誌としての意地」とおっしゃいました。

続いて、少女雑誌で活躍した画家たちとして、竹久夢二、高畠華宵、蕗谷虹児、加藤まさを、中原淳一、松本かつぢが数々の作品とともに紹介されました。
中原淳一の代表作としてスライドに映しだされたのは、「セルのころ」。
わたしも(アイコンにするほど)大好きな作品なので、内田先生もそのようにおっしゃっていてうれしく思いました。
敬愛してやまない内田先生ですが、あの場でお話を聞けて、当たり前なのだけれどわたしとおなじ淳一ファンなんだ!と親近感を覚えてしまいました。
まだまとめは続きますが、今回の講演で、引き続き内田先生のご活躍をしっかりと、しつこく!追わせていただこうと思いました。
お姉さま、おふるいあそばせ。


次回は松本かつぢや信子先生、康成先生、花子先生のお話です。

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