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転職して大切なものを失った気がしている

自分の欲望は面白いもので、環境が変わると、合わせて気持ちもガラッと変わったりする。
そんなこんなで相変わらず迷いだらけの毎日だ。

会社員から一転、転職でフリーランス的な働き方を獲得した。
上司となる人はいるが、毎日顔を合わせるわけでもなく、また報告やら指示を仰ぐなど、一般的な上司-部下の堅苦しい関係からは解き放たれた。

解き放たれたと言いつつ、そこまででもないか。
イチ従業員に他ならないので、多少の忖度やらへりくだりはある。

じゃあ結局そんなに転職したことで変わらなかったか?
そういうわけではないが、変わったことといえば生活リズムと悩みの種類だと思う。

変わった」というより今や「失った」と言いたいところだ。
規則的な生活リズムそこそこの暮らし、最低限安心できる貯金
これが今の自分にとって失ったと思うもの。


土日固定の休みを”失った”。
案外この打撃が大きいものであった。
自分はどちらかというと規則正しいほうが好みだったのか、と今になって知る羽目になった。
毎週必ず休みが来る、ということは生活において一種の安心材料だった。「あと何日すれば休み」こう思えるのがなんと幸せなことか。

そしてあの土日ならではの休日感。ああ、うらやましい。
休日だ!と自信をもって休める日。平日に休んでもなぜかズル休みしている気分になる。どうしてだろう。
「自分だけが」という全能感に浸れればいいのに、どうしてか「自分だけ上手くできなくて」申し訳なく休んでいる感覚に陥る。
はて?
これは自分の気持ちの問題。なんだけど、どうしようもないんだなあ、現状。

自分にとって重要な、そこそこの暮らしも”失った”。
なんでもなく過ごせる毎日が好きだ。そこに旅行や余所行き、お出かけが入ってきても構わない。
ただただ、落ち着いてその場所で暮らせればあそれでいい。それでよかった。
転職を機に県外へ引っ越したのだが、落ち着いて暮らしたいという願望を持った自分にとって、移住は不適当だ。
案の定、なかなかこの地に腰を据えられない、落ち着けない。
「やっぱり前いたところがいいな」、そんな風に思って日々過ごしているせいでちっとも気持ちが落ち着かない。
潜在的に「ここじゃないところで」という気持ちがあると無意識に安心できないものだ。引っ越してきてから一年が経とうとしているが、一向に落ち着ける気配がない。
これがけっこう厄介で、無意識にこう思っていると、いくら楽しいショッピングをしたりおいしい食べ物を食べたり、晴れた心地いい日に散歩をしたとしても、100%の満足に至らない。
「ただしこの場所は満足してないけど」という注意書きが必ずついてきてしまう。

そして、大切な、お金を”失った”。
会社員時代は給料も毎月おおよそ一定の額をもらえたし、ボーナスも出た。フリーランスは安定した収入も、ボーナスも、なにも、ない。
転職した後、まだ最初だから…と思っていたが、一向に給料も増えなければお金もたまらない。
むしろいろいろな保険料やら税金で支出が増える一方。

なんてこった。
給与明細を見るたび、お金を引き出した後の通帳を見るたび思う。

お金の面だけみるとわりと、本当に悲惨だと思う。生活していく気があるのか?という収入。
そして会社員時代にコツコツ貯めた大事な貯金がただただなくなる虚しさ。

お金って大切。
お金がないことで、そこそこの暮らしも失ったといえよう。
とにかく出費したくないので、常に消費を我慢せざるを得ない。
「せっかく出かけてきたから」と明るい気持ちで買い物ができなくなった。
「たまにはカフェで」という小さな贅沢ができなくなった。
「これやってみたい」と思ってもお金がかかるからやらなくなった。
お金の余裕がなくなったことで、心の余裕と元気がなくなった。
”気持ち”という袋がみるみるしぼんでいくようだった。


転職して得たものもある、と多少前向きに思える日もあるが、後悔する日がほとんどだ。情けない。
失ったものばかりが輝いて見えるものだ。
まだしばらく失ったものを振り返り、眺め続ける日々が続くだろう。
耐えきれなくなって、取り戻そうと努力するかもしれない。
そうしたら、その瞬間だけが輝いて見えて、また新たに失ったものを憧れのまなざしで眺めるのだろうか。

そんな将来が見える、気がしないでもない。
しかし、今は失ったものしか見えないし、それが自分にとって大切なものだったと気づけたのだ、というある意味前向きな気持ちでもいる。

今の自分としては、失った大切なものを取り戻せるように頑張ってほしい、そう自分にエールを送りたい気持ちだけがある。


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すずかわあかね
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