悩みという思考の糸をほどく作業
このところ人と会って話すことが増えてきた。
自分がなにかに強く悩んでいる場合、人と会うとつい自分の悩みの話を切り出してしまいがちだ。
そして、こういう話をしても嫌な顔一つせず聞いてくれて、さらにはアドバイスをくれたりする自分の周りの人たちには頭が上がらない。
タイムリーに自分が悩んでいるものというのが「仕事」と「子ども」だ。
仕事についてはいままでのnoteでも散々悩みをぶち明けているので、まあそうだよな、という具合。
仕事の悩み
言わずもがな「転職しなきゃよかった」「前の安定会社員に戻りたい」という悩み。これが実は、一人で考え込んでいるときにこの思考に陥ることが往々にして多い。
加えて、夫と話しているとこの状態に陥りやすい、かもしれない。
それ以外の人と話していると、案外この後悔が出てきにくい。
ということが、最近の人との会話でわかってきた。
一人でいたら確かに金銭的にも社会的にも不安が押し寄せてくるので、理解できる。
ではなぜ夫と話すときに大変な後悔に陥りやすいのか。
***
という私の情けない遍歴をすべて近くで見ていた人だから、だと思う。
「嫌だ、辞めたい!」と言い続けて転職活動やり始めて、軸もないまま転職して…転職したらしたで「嫌だ、辞めたい!」という始末。
これを知られているから安易にいまの仕事の愚痴や辞めたいということ、転職も考えているということが伝えられない。
言いたいのに我慢してしまう。
この我慢のせいでいろいろすっ飛んで「転職しなきゃよかった」思考に至ってしまうのではないか。
うん、そんな気がする。
後悔する仕組みがわかったからといって、改善策は…まだ見つからない。
「仕事のことを言うのを我慢する」これを辞めたらいいのはわかっているが、言ったら言ったで夫からは「じゃあどうしたいの?」と責めを喰らう。(気がしている)
とはいっても別にすぐ怒る人というわけでもないので、たまに少しずつ話して様子をうかがおう。
…それか、知らないうちに勉強進めて副業始めて、稼げるようになってから言うのもアリ。
子どもの悩み
結婚するかしないか。
大きな選択肢をやっとのことでクリアしたのに、新たな壁として立ちはだかったのは子ども作るか作らないか問題。
いま私たちはより良く生きていくために子どもを作るか否かも選択することができるようで。
これが本当に難題だ。
子どもが嫌いなわけではないが、好きでもない。そんな対象を産み育てることができるのか、という単純な不安。
これは確かにある。
しかし、それ以外の理由に気づいた。これは衝撃の理由。
「仲良い友だちはみんな子ども作ってないから or 子ども欲しくないって言ってるから」
最近、心の端っこでこの気持ちを持ち合わせていることに気がついて、自分で「え、ええ~~~!!?」となった。
学生時代によく言った「みんな〇〇だから」。
まさか大人になって、こんな大切な選択事項でこんなショボいこと考えてたとは。
そう、わたしは心のどこかで「みんな(いまは)要らないって言うし、自分も欲しくないかな」と思っていた。
そして、「つまり内心欲しい気持ちも持ち合わせている」ということにも気がついた。
自分個人の生活や趣味、やりたいことを考えるとたしかに切望するほど欲しくはない。
ただ…
***
子どもと公園で遊んだり、買い物に行ったり、出産をすることも…どれもやってみたい。
出産とか、女しか経験できんぞ。せっかく女に生まれたならやれることやって死にたい。
自分が産んだ天使に会いたいかも。
子どもがいることでも自分の経験値爆上がりするんじゃ…
***
なんだ、案外子どもがいるのもいいって思ってるじゃないか。
周りの言葉に左右されてただけだ。
周りが要らないっていうから、これからっていうから、切望する人ほど欲しいと思ってないから。
そうやって控えめに、否定的に出産を捉えていたが、案外成り行きでいいのかもしれない。
(計画性もたぶん大事なことだが、いまの自分はそこまで熱心には出産を考えられない)
人と話したことで、自分の中のぐちゃぐちゃ絡まった思考の糸も、すこしほぐれてきたみたいだ。
なぜ自分がこう思うのか、理由がわからないうちが一番つらくて悲しくて苦しくてもどかしい。
でも人と話すことでこうやって絡まりがほぐれていくのなら…
自分はこれから積極的に人に会いに行ったほうがいいな。
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