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「君たちはどう生きるか」は爽快感と問いをもたらした

「これは宮崎駿監督の遺言だ。」
「現代の神話だ。」
「今までの作品は宮崎駿の上澄みでしかなかったのか」

そんな前評判を聞きつつ、映画館に足を運んだ。

多くの人の感想と同じように、私も多くのことを理解しきれなかった。
けれど、とても刺激が多く爽快感があった。
次から次へと浴びるような情報量の多さだったが、それが重くなく気持ち良さを感じた。
自然の中で、鳥のさえずりとひぐらしの声と木々の音と光のゆらめきと、溢れるほどの情報量があっても嫌気を感じないのと同じような感覚に似ていると思う。

そして後半の圧倒的なファンタジーの世界は、幼い頃に見てた世界と似ている気がした。
まだ、多くのことを理解していないため、
世界は、壮大で、美しく、恐ろしく、
秩序があるように思えるけれど、良くわからない。
ただ、色んな人が、生き物が、前を向き生きているんだと見えていた。

そんな風に、この作品に出てくる世界は「分からない」けれど「色んな意図」で動いており、それ故とても美しい。

そして、この話のメインテーマは一人の少年の「成長」だ。

母親を大好きな幼さを残す少年だった主人公、眞人。
彼が、塔の世界を冒険し、中で色んな人と生き物に出会い
自分や他者を受け入れ、逞しく生きていくことを選択する話。

自分にも他者にもキレイな部分と悪意のこもった部分があることを感じ取っていく。

ジブリに必ず出てくるマスコット的キャラクター。今回は白くて丸くてもっちりしている「わらわら」というもので、大きさはソフトボールやメロンぐらいだろうか。
わらわらは熟すと天に向かって飛んでいく。それは塔の世界から現世へと移りヒトとして生まれるために。
そんな沢山のわらわらが熟し、天に昇っていく美しい夜空を、眞人は眺める。
壮大なわらわらが昇っていく螺旋は、遺伝子のようでもありとても幻想的だ。
が、突如わらわらは飛んでくるペリカンの群れに襲われ、次々と食べられてしまう。
そのペリカンをヒミが現れ攻撃し、わらわらもろとも焼いていく。
しかし、おかげでわらわらは全滅せず一部は天に昇ることができたのだった。

その衝撃的なシーンの後、眞人は翼の折れた弱ったペリカンに出会う。
「もう飛べない。一思いに殺してくれ」
そう、ペリカンは告げる。
「わらわらを襲うからだ。」
眞人は自業自得だと言うが、ペリカンはこう話す。
「我々の一族は、わらわらを喰うためにこの世界に連れてこられた。
 この海には魚が少ない。我々が生き延びるにはわらわらを喰うしかない。」
そして、ペリカンは絶命してしまう。

その後、眞人はそのペリカンを土に埋めて弔うのだ。

このペリカンだけではなく、多くの出会いで眞人は気づくのだと思った。
生まれる、生きる、それはとても尊く、美しいことだけれども、その反面には誰かを傷つけ、奪うがある。
それが本来の「生きる」なのではないか。

塔の主である白髪の「大叔父」は、宮崎駿監督を表しているとも言われている。
彼は、13個の石の積み木を眞人に継がせようとする。
既に大叔父が不安定に積み上げ、何とかバランスを保っている積み木。
それに、あと一つだけ石を加え、もっと穏やかな世界を創れ、と。そうしなければ、世界はあと1日で消えてしまうと言う。

本当かどうか分からないけれど、宮崎駿監督がジブリで手掛けた作品が
本作を含め13作。
13個の積み木はそれを指しているのではないか。

けれども、眞人は
後継者にはならない、現実の世界で、友達を作り、強く生きていくと大叔父に告げ、塔の世界は崩壊してしまう。

母への依存から自立するように、ジブリに依存せず、
他者との輪を広げ、そして自分も他者も美しい部分と汚い部分とを持っていることを受け入れ、強く生きていってほしい。
そんな力強いメッセージなのではないかと感じた。

宮崎駿監督から、私は世界をこう見ている。
生きる、とはこうだと思う。
さあ、君たちはどう生きるか?
そう問われている作品なのかもしれない。

そのため、映画を観た後に残ったのは
圧倒的迫力の絵を見た爽快感と
私は、私たちはどう生きるか、という問いだった。

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