「貴方の夜をずっと照らす大きな光はあるんだろうか。」
・貴方の夜をずっと照らす、大きな光はあるんだろうか。 (「チノカテ」/ヨルシカ)
なんだろう、ずっとずっと照らしてくれるもの。
私を、私の心を照らすもの
暗い夜にひとりでも、
孤独でも、
苦しくても、
それでも進もうと思わせるもの。
それでも自分を救う、支えるもの。
自分が前を向く理由になるもの。
私はね、ずっと、
演劇だ、って思っていました。
私が前を向く理由、頑張りたいと思えるもの。大好きなもの。
どんなに暗い夜でも私は演劇が大好きで、それは私の希望だ、って。
でも、そうじゃなくて。
それがしんどかったです。
演劇を好きと思えない日なんて全然あって、
なんで演劇?って悩む日もあって、
演劇を心から好きだと思ったあの情熱とか、ワクワクとか、あの感覚。
それって案外もろくって。
忘れちゃうし、わかんなくなるし、幻覚だったような気さえする夜がよくあります。
そんな時に私は
とっても不安で。悔しくて。悲しくて。
演劇を大好きな自分じゃないことが、とても不安になります。
私を、私の全てを突き動かす原動力であるはずの演劇。なのに今は演劇に何も感じない。
どうしよう。
私の選んだ道は全部間違ってたのかもしれない。
私にはどうせ無理なんじゃないか。
なんで好きだったんだっけ。何も感じない。
って、夜にひとりで考えて、奥底に落ちていったりします。割とよく。
だから、きっと私は
演劇は私を照らす光だ、って思いたかったんだと思う。
そのくらい演劇が好き。だから頑張るんだ、って、自分に証明したかったの、きっと。
だから、そう思えない時には本当に苦しくて、自分が嫌になった。
でも、好きって色々あるんですよね。
前に人と話してすごく楽になったんだけど、
情熱があって全てを注ぎ込めるような「好き」
もあれば、
のんびり、適切な距離感を保ちながら楽しむ「好き」もあって、
どの「好き」も大切。かけがえのないもの。
それに優劣は無いし、どれも尊重されるべきもの。
私は、ちゃんと好きでいたい。好きでいなきゃ。熱を持っていなきゃ。
って思いすぎてたんです、きっと。
演劇を好きじゃない自分も、時々は存在する。
それも自分。それも大切。それでいいんだ、って思えて、楽になりました。
熱のこもった「好き」じゃないからこそ見える景色もあって。
だから、自分のその時々の気持ちに正直であることが1番だなぁと!思いました。
そこでね、本題。
私にとっての、
貴方の夜をずっと照らす、大きな光
ってなにか。
それは、
家族
大切な人たち
やっぱり人だなぁと気づきました。
私が生きる理由は、人。
もちろん、
私は私のために生きるし、
私の人生は私のものです。
自分の選択は自分でしたいし、
自分だけのためにしたいです。
でもね、
私を照らすもの
暗い夜でも、
めげそうな瞬間も、
全てから逃げたい時も、
全部に疲れた日も、
私が私でいたいと思えるのは、
大切な人たちがいるから。
やっぱりそれは、家族。
家族は私の光です。生きる意味です。
もちろん、
家族のために生きるつもりは全くないけど、
家族が元気にいてくれて、
例え離れていても笑っていてくれることは
私の救いだし、生きている意味です。
そして私は、
家族にとってもまた、私の存在は光なのだと
いうことを知っています。
そうありたいです。
私はプライドがないって昔からよく言われて、
自分に自信がない人間です。
プライドないなぁと自分でも虚しくなることがよくありました。
でも、唯一のプライドは
家族にとっての光であること。
光であり続けたいということ。
私の人生の目標はずっとひとつしかなくて、
それは、
親が生きている限り、
私は自分の人生を楽しんで、親に
私、人生すごく楽しいよ。生まれてきて良かったよ、ありがとう。
っていうのを行動で伝え続けること。
私は親より絶対長生きするし、
親が生きているうちは絶対そうやって生きる。
それ以降の人生は正直もうボーナスタイムなので自由です。
これが私の目標で、私なりの恩返し。
言葉でまっすぐ感謝や愛情を伝えたりするのがとっても苦手なんですよね。
私も、家族も。
でも、たとえ言葉がなくても
行動の全てから伝わってきたんです。
家族ってほんと色んな形がありますよね。
絶対に家族を好きであるべき、大切にするべき、とは別に思わないけど、
私は好きですとっても。
大切ですとっっっっても。
直接それを言うなんて口が裂けてもできないけれど...笑
そしてまた、
私にとっての大きな光は、
大切な人たち。
家族はやっぱり血が繋がってたりするから、
少なからず愛情に理由があるというか。
もちろん当たり前なんかじゃないけど、
やっぱり少し、そりゃあ好きでしょ!そりゃあ大切でしょ!ってなる。私はね。
でも、そういうのじゃないのに愛してくれる人たちがいて、
それが不思議で、でもほんとーうに幸せ。
他人なのに。
なのに、
私のことをなんでも分かってくれたり、
分かんなくても分かろうと向き合ってくれたり、
私の好きを尊重してくれたり、
私の存在を肯定してくれたり、
私の身体や心を何よりも大切にしてくれたり、
私の選ぶどんな道も、生き方も、応援してくれたり、
そんな人たちが私にはいて、
それも私にとって光です、きっと。
他人なのにね、
私の幸せを心から願ってくれるなんてね。
すごいなぁって、幸せだなぁって思うんですよ。
家族に愛されるのとは違うベクトルなんです、この感覚って。
だからもちろん、もちろん、
大切さの順位なんてない。
私っていう人間そのものと出会って、
私には色んな面があるって知ってくれて、
そのうえでも大切に思ってくれる。
それは本当に嬉しいし、
私にはあなたが、あなたたちが、
ついているんだね。
っていう感覚が、
私にとっては、暗い夜を照らす光だなぁって。
思うんです。
もしかすると、家族と違って
簡単に変わりゆく関係性かもしれなくて、
でもきっと永遠だろうなって思える、信じられるんです。今は。
それで充分なんですよね。
未来なんてわかんないし。
でも22年生きてきた私なりに確信してるんですよ。だから、きっとずっとこの光はあり続けるだろうなって思って、
そう思えること自体もまた光。
私の夜をずっと照らし続ける、大きな光
それは、家族。私の大切な人たち。
生きる意味です。
生きる目的ではないけれど、生きている意味。
生きている中での光です。
おわり
今の気分
久しぶりに書きました。
12月頭に出演する舞台の本番があり、バタバタしてるんです〜ひゃあ!
寒くなってきましたね。
冬は苦手だ...
でも12月は楽しみ!年末の雰囲気が好きです。
「良いお年を〜!」が飛び交うあの空気感が、大好きなんですよねぇ🗓