
むっちゃんの夏休み
むっちゃんは5歳年下のいとこです。むっちゃんはお父さんが亡くなったすぐ後に生まれました。
いろいろ事情があって、生まれて半年後、私の家に預けられました。
いきなり、手のかかる赤ちゃんを預かることになったのですから私の母も大変だったと思いますし、家族が急に一人増えて私たち姉弟にとっても大事件のはずですが、特に抵抗もなく自然に受け入れたと思います。
親子、姉弟として、楽しく過ごし共に成長して行きました。
まるで、はじめから家族だったように育ちましたので、自然と私の父母をパパママと呼んでいました。そして、それも仕方ないと思っていました。
むっちゃんにはお兄さんが二人いて、お兄さんたちも学校が長い休みに入ると、我が家にやって来て過ごしました。
むっちゃんのお兄さんたちは、むっちゃんがおじさんおばさんを「パパ、ママ」と呼んでいると
「パパじゃない。ママじゃない。」
と、顔を真っ赤にして怒ったように言うので、むっちゃんはその度に、大声で泣きました。むっちゃんが泣くと、家族みんなが切なくなりました。
「呼び方はなんでもいいから。」
と、父がたしなめると、お兄さんたちは、むっちゃんよりもさらに大きな声で泣きました。
お兄さんたちも、むっちゃんが大好きだったので、取られてしまうように感じて寂しかったのでしょう。
そしてなにより、お父さんが突然この世を去って、弟が叔父叔母に預けられた境遇に傷ついていたのだと思います。
幼稚園に入園する頃、むっちゃんは本当の家族のところに帰りましたが、家族に馴染むのが大変だったと聞いています。そして長い休が始まると
「ただいま!」
と、帰ってきました。そして、家族に甘えて伸び伸びと過ごしましたが、お休みが終わるころになると、なんとなく機嫌が悪くなり、いつまでも帰りたがりませんでした。
そして、夏休みがとうとう終わってしまう8月31日に泣きながら帰って行きました。
「むっちゃんはうちの子だ!」
と心の中では思っていました。でも、子どもながら、それを言ったら夏休みにも帰って来れなくなるのではと思いました。そんな事が中学生になる頃まで続きわました。
2つの家族を持つことになってしまったのは、幸せだったのか、不幸だったのか、本人に聞いてみないとわかりませんが、
夏休みが終わる今ごろは、むっちゃんの泣き顔と切ない気持ちを、鮮明に思い出します。
※2021年9月、教室だより第77号。この度、再校正しました。