【要約と学術的意義】浅井麻帆「1890年代後半のウィーン分離派とゴーフリット・ゼンパー」
(1)要約
本稿では、1890年後半に建築家オットー・ヴァーグナーをはじめとしたウィーン分離派が、1850−70年代に活躍した建築家ゴーフリット・ゼンパーからどのように影響を受けていたか考察するものである。
筆者は、ヴァーグナーの名言「建築の唯一の主人は必要(芸術は必要のみに従う)」は、もともゼンパーからの発言だったということを指摘し、ヴァーグナが所属したグループの分離派がどのように影響を受けていたかを、ヴァーグナー、及び分離派の関連テキストから、機能性と芸術の融合を目指したウィーン分離派がゼンパーの影響を大きく受けつつも批判的な態度を持っていたということを明らかにしていく。
当時ドイツで起きたユーゲント(若者)シュティール運動によって、ウィーン分離派も「若者」であることを自称していた。この運動の影響によって、過去の「様式」に依らず「我々の時代」にあった「自由な」自分たちの芸術を求める態度を強めていった。ヴァーグナーな建築家としてゼンパーの影響を受けつつも、ゼンパーの思想家過去のものであり、歴史主義建築の一人であると考えられた。
分離派を擁護したジャーナリスト、ヘルマンバールは建築を「実用」という言葉で若者様式を表現した。ゼンパーが述べた「芸術あたった一人の主人を知っている、必要である」という「必要」という言葉が、バールのいう「実用」と同じ意味であるかを検討していく。彼のいう「必要」とは、「実用に」に使えるのではなく、「装飾」としての「芸術」を含むものであることを明らかにしていく。
更に、ワーグナーの建築が芸術を作り出した起源という、ゼンパーと同じ主張な理論を参照しつつも、ゼンパーの過去のルネッサンス様式を引用し構築した建築物を批判する態度を確認し論を閉じている。
学術的意義
・ヴァーグナーの名言がゼンパーの発言をどのように捉えていたか明らかにしている論考。
こういったところからもゼンパーの思想や被膜原理論などは人々を魅了したが、建築における矛盾があることを指摘している。
また、ゼンパーは唯物論主義として片付けられることも多い。
しかし、その思想の難解さゆえに明らかになっていないことも多いと思われる。
この、「必要」という言葉においては、ゼンパーの素材論も含めて、ゼンパーの芸術に関する自然に基づいた構造から芸術が生まれるという思想に近い発想である。強いて言えば、人間主義的な主観でもあるとも考えられる。(が果たしてそうか?)