【要約】小田部胤久「ゴシックと表現主義の邂逅ーヴォリンガーによる「ヨーロッパ中心主義的」芸術史の批評とその行方」『美学藝術学研究』21(2003)pp.81-114.
(1)要約
本稿では、20世紀前半にスイス・ドイツで活躍した美術史学者ヴィルヘルム・ヴォリンガー(1881−1965)の理論的変遷を「ゴシック」と「表現主義」との関係に着目し考察するものである。特に1907年から320年代末までの、変遷について検討をし、彼が歴史を幾度にも重ね描きしたことへの理論的正当性を明らかにする。
第一節では、ヴォリンガーの有名な著作『抽象と感情移入』(1908)を主に取り上げ、ヴォリンガーの非西洋的な批判を解説する。本書において彼は心理学者テーオドーア・リップス(1851ー1914)の心理学的美学を援用し、美術作品を鑑賞した際におこる心理学的美学を「抽象」と「感情移入」に分割する。「抽象」とは、原始人が作り出すプリミティブアートにみられるような幾何学的な表現の指す。このような抽象衝動は、自然に現れる無秩序な多様性に不安を感じた人類が、認識的にとらえようとする試みである。また「感情移入」は、ギリシア・ローマ及び西洋近代人に特有の表現で、「有機的・生命的な」表現によってその形象から観る側に感情移入を促す試みと表現を指す。彼は、「抽象衝動」を有する「古代人」の時代(第一の時代)から「感情移入」を生み出す「古典人」(ないし近代ヨーロッパ人)の時代(第二の時代)への発展を「合理主義的認識」の見做しつつも、さらにその次の段階を目指すという。しかしながらそれは、抽象ではなく(なぜなら抽象を生み出したのは、「個人」を知らない集合的存在としての人類、無差別的な=未文化の集合体だからであり、「個人」が現れる近代以降は抽象は生まれないという)『物自体』への感情が「再び目覚めた」段階であるという。その意味で、彼はゴシックを、ヨーロッパ人が生み出し、抽象を出発点としつつ、そこからの激しい運動によって表現を目指すことになる、という芸術形式であると主張する。
第二節においては、第一節で第3の時代としての可能性を見出されたゴシックについて論じた『ゴシック形式の問題』(1911)を取り上げて、彼がゴシックの超歴史性とゲルマン性を見出したことを明らかにしている。ゴシックはフランスにおいて多様に発展したが、ゴシックは外部から発展されるべき性質をもつため、フランスが先鞭つけたものをドイツが自らのものとし、事故に固有の発展過程のうちに生かしていく、狭義のゴシックの成立をもつという。
第三節においては、彼が同時代の芸術家たちとの交流を通しながら、思想の変遷を探る。当時、同時代的芸術運動とは表現主義のことである。マティスに代表されるような絵画は、「発展史的に必然的なもの」が備わっており、それは「主観的にして恣意的なもの、単に個人的に制約されたものの克服」を目指すもの、すなわち個人的なものに先立つ「原初的なもの」の復活を目指すものであるという。ここでは、デューラーからマレーに至るドイツ芸術の変遷を参照し、ドイツにおける表現主義の受容と展開のうちにこそ「全ヨーロッパの発展」においてドイツの占めるべき位置があると主張する。このような主張は、『ゴシック形式の問題』におけるゲルマン人の発展と同様の主張が見られる。
第四節においては、1919年に書かれた論考「新芸術への批判的考察」を取り上げる。この論考はある意味では「表現主義の最も忠実な擁護者の側からのその破産宣言」であることを認めている。表現主義の歴史位置を総括することがこの論考の目的である。表現主義が目指した「超個人的なもの」と、表現主義が出発点とする「自我」とが相容れないために結局のところの表現主義によって達成されるのは「超人格的関係の幻影」にすぎないという。このような「精神」や「心」を取り扱う試みは、造形芸術という媒体においては、現象学や相対性理論の中でこそ見出されると述べる。このような芸術から学問への意向が考えられるのである。
第五節では、1920年代のゴシック論を取り上げる。このような表現主義に対する批判的な立場から、ゴシック観にも影響を与えたと考えることができるからだ。そこでは「ゴシック」を「フランス的」なものとみなし、「後期ゴシック」と「表現主義」を単なる移行段階と捉えることによって、ゲルマン的ゴシックをゴシックの本質みなす、1911年の思想から離れていく。それは表現sニュぎの衰退と20年代中葉における古典主義の復活を期に、ゴシックのゲルマン性という彼の根本主張が揺るがされることが明らかになったことを明らかにしている。
以上のように、彼が19世紀初頭に論じた抽象やゴシックという思想は、「集団ー人格ー個人」という三分方を用いつつも、結局のところその都度の関心に応じてその概念を 別様に適応している。このように、ドイツとフランスの関係を表現主義時代に当てはめるなどの思想の試みは、理論とは独立しあらかじめ与えられている結論を正当化するために適用される毒具として機能していることを意味することが明らかになった。