入院した④
前回の続き
9/6 手術当日
前の日に受け取った紙に朝の6時から夜勤の看護師さんが点滴を付けてくれると書いていた。
6時前にトイレを済ませて待っていたがなかなか看護師さんが来なかった。
8時前になり部屋の人に朝食が配られ始めた。その頃になり私も点滴が付けられた。
血管の細いわたしだが1回で刺して痛みもほぼなかった。看護師さんありがとう。
しばらくしてトイレに行きたくなり起き上がると冷や汗と立ち眩みの症状がでた。念の為申し訳ないがナースコールを押し看護師さんに来てもらいなかなか普段では乗ることのない車椅子でトイレまで連れて行ってもらった。
トイレから帰ってきてしばらくすると手術の担当の看護師さんが本日の担当として来てくれた。
血圧などを測り先程の立ち眩みについて話すと迷走神経反射の可能性が高いと言われた。
本当だと1日その女性の看護師さん(以下Aさん)が付き添いしてくれるはずだったが急遽急患でわたしの前にガンマナイフ手術が入ったようで途中の検査では違う看護師さんが連れて行ってくれるという話を聞いた。
ガンマナイフではフレームを付ける際ボルトを締めるのだがそれの麻酔が一番痛いということを聞きながらガンマナイフの手術室へ向かった。
わたしは髪が長い。手術室では看護師Aさんがピンやゴムを使って纏めてくれた。しばらくすると主治医がやってきてフレームの位置決めをした。決まったところにペン?か何かで印を付けられた。その後点滴にうとうとするといわれる何かを足された。全くうとうとしなかった。ボルトを止める前に局所麻酔を4箇所打った。なかなかに酷く痛かった。普通はうとうとしてて痛くないそうだが全く眠くないわたしは痛みで泣いた。
その後何分か経ったあと(多分局所麻酔の効く頃)にフレームを固定するためにボルトを締めていった。うとうとは全く無いので涙だけがずっと出続ける。痛みとやはり主治医が嫌な元上司に似ていて名前を呼ばれるだけで嫌気があったのもある。主治医には申し訳ないが喋り方や背格好が似ていたのでこれだけはどうしようもないのだ。元はといえばその前の職場の上司のせいでうつ病になったのだから。
ボルトを全て留め終わり次の検査に連れて行ってくれる看護師さんが来るまでの間Aさんはずっとわたしを褒めてくれた。「よくがんばったね。」その言葉だけでまた泣いた。この1時間にも満たない時間でわたしはどれだけ泣いたのか。
しばらくすると検査担当の看護師さんがやってきた。男性の看護師さん(以下Bさん)だった。
Bさんは涙で顔がぐしゃぐしゃになったわたしを車椅子で検査室まで連れて行ってくれる。まずはMRIだ。
エレベーターを待っている間も涙は止まらずBさんはあわあわとごめんね。いまティッシュ持ってなくて。と言ってくれた。その言葉が優しく感じてまた泣いた。わたしはこんなに涙もろかったのか。映画を見ても泣かず卒業式にも泣かないわたしがなぜこんなに泣いていたのかは不思議で仕方ない。
MRIが呼ばれるまで少し時間があった。普通は車椅子から立ち上がるはずだったがフレームが思ったよりも重く立ち上がるのが怖かったためMRI室のベッドに寝て運んでもらった。
普通に撮って後から造影剤を入れた。造影剤に関しては特になにも起こらなかったので多分アレルギーはないのだろう。
MRIを撮るときはヘッドホンをするのだがフレームを付けているためヘッドホンができないので耳栓を渡された。付け方が分からなかったがとりあえず耳に突っ込んだ。技師さんが何か説明しているが耳栓をしているのでほぼ聞こえなかった。技師さんごめんなさい。
MRIはうるさいとよく聞く。この前はヘッドホンだからうるさくないのだと思っていたが耳栓でもうるさくなかった。
やはり職業病なのかもしれない。大きい音に慣れすぎている。
MRIは40分ぐらいだっただろうか。時計などは見れないため正確にはわからない。
その後脳血管造影検査に行くことになったがここでまたトイレに行きたくなってしまった。
Bさんには申し訳なかったが中まで入ってもらい用を足した後にまた車椅子で次の検査室へ運んでもらった。
脳血管造影検査はとても寒かった。よくドラマで見るような手術室という感じだった。
まず眠くなる点滴を足された。全く眠くならない。その後右手の親指の付け根辺りに主治医が何回か局所麻酔のようなものを打っていた。フレームでベッドに固定されているため見えないので詳しくはわからない。
その後手首からカテーテルを入れていたが何度やってもどこかでものすごい痛みが出て「痛いです。」と言っていた。言うたびに眠くなる点滴を足され局所麻酔も足された。その後も何度やっても上手くいかなかったのだろう。主治医が手首からはやめて肘から入れると判断しわたしに言った。
眠くはないが喋れなく主治医は何度もわたしの名前を呼んだ。主治医は前述の通り嫌な元上司に似ている。そのため余計に痛みが増したのかもしれない。
しばらくして終わったと言われた。いつ造影剤を入れたのかわからなかった。ただ寒かった。時々息が苦しくなったため何度も深呼吸を促された。
終わってからしばらくは手首と肘を圧迫されその後枕木を付けられた。1-2時間ほどは真っ直ぐにするように強く言われた。
その後ベッドを看護師さん3人ぐらいで運んできてくれてわたしを検査室にいた看護師さんも含め5,6人がかりでベッドへ移動させてくれた。眠くはないが身体は動かなかったのでとても助かった。
ふつう腕からカテーテルを入れる場合車椅子で帰るはずだったがエレベーター内で看護師さん達の話をなんとなく聞いている限りでは麻酔薬をたくさん使っていたようだった。だから念の為ベッドで迎えに来てくれたのだろう。憶測に過ぎないが…。
病室にそのままベッドで入りしばらくすると昼ごはんが運ばれてきた。なんとなくうとうとしている間に運んできてくれていたようだった。運ばれてきて10分ぐらい経った頃だろうかAさんが点滴を外しに来てくれた。目が覚めたらご飯を食べましょうかと言われたがもう目が覚めたためそのままベッドの頭部分を上げてもらった。ベッドが可動式のもので助かった。如何せんフレームのせいで頭が動かないのでほぼ90度にしてもらった。利き手の右手は枕木を付けられているため左手で食べた。
本当はこの時もAさんがそばに付いているはずだったらしいが急患の方につかなければならなかったらしく他の看護師さんにいろいろと伝えてくれたようだ。何かあればナースコールを押せるように手元に置いて走って行った。あの日Aさんは休憩を取れたのだろうか。
ご飯を食べる気力がなかったが食べなければ元気がでないと思い食べれそうな白ご飯とおかずを少しずつ食べた。お茶を飲もうとコップを口元に近づけると口元にいくまでにフレームに当たって飲めなかった。申し訳ないがナースコールを押しストローを差してもらった。ストローが神のように思えた。
殆ど残して申し訳なかったが食事を下げてもらった。お腹がいっぱいなら問題ないですよ。と笑顔で看護師さんが言ってくれた。嬉しかったがやはり申し訳無さでいっぱいだった。
その後ガンマナイフに呼ばれるまで1時間以上待った。何も音沙汰なく寝るにしてもフレームが邪魔で横になれない。一度トイレに連れて行ってもらった以外はベッドで仰向けになっていた。すると看護師さんがやってきて枕木を外してくれた。腕はとても痛かった。曲げるのも一苦労だ。また待っている間にいちばん最初に打った局所麻酔のところが痛くなってきていた。これは麻酔が切れてきていたのだろうか…。打ってから6時間以上は経っていたが…。
15時前にAさんがやってきた。前の急患さんが時間がかかったようだ。なんとなく小耳に挟んだが4箇所ぐらいあてていたそうだ。そりゃ長引く。
車椅子に乗りもう一度トイレへ。その後ガンマナイフ手術中に聞ける音楽を選べるということでファイルを見せてもらった。
古い曲や漫談が多かったがわたしはフュージョンが好きなためT-SQUAREのアルバムをどれでもでいいのでと言ってオーダーした。(このとき流してもらったアルバムが何かわからず今も探している。)
ガンマナイフ手術室に到着した。中には白髪交じりのおじさん技師がいた。
よくここまで頑張った。あとはこの中に入れば終わりだからもうちょっと頑張れ。痛いことは何も無いし何かあれば録音室のようにわたしが話せば向こうに聞こえるようになっている。そのようなことをとても詳細に話してくれた。
なんだか勇者になってゲームの最終場面に来たような気分になった。
わたしの脳動静脈奇形(AVM)に対するガンマナイフの照射時間は55分だった。ガンマナイフはCTとMRIが組み合わさったような機械だった。少し寝台が高く登るのが怖かったがそれ以外は特に何もなかった。音はCT程度の機械音はあった。流してもらっている音楽も聞こえる程度の音量である。
55分間の照射が終わり隣の部屋で主治医がフレームを外してくれるとのことだ。隣の部屋に行っても主治医はいなかった。10分後ぐらいにやってきた。全て外し終わってからAさんが頭を止血してくれた。
主治医に頑張りましたねと言われた。なんとも言えない気分になる(再三いうが主治医は全く悪くない。わたしのもんだいである。)
頭を包帯で巻いてもらい車椅子で病室に戻る途中にAさんにとても頑張ってましたよと何度も言われた。頑張ったのは看護師さんや技師さん医者である。
母が手術終わりに面会に来ると言ってくれていたため談話室を通ったがいなかった。病室に戻ってきたところ母と父がやってきた。違う場所にいてたようだ。
Aさんは点滴を取りに行った。わたしは両親と話ができたが特に話すこともなく洗濯物を持って帰ってもらったりお茶を持ってきてもらったりした。
しばらくしてAさんが点滴を付けてくれ痛み止めの錠剤をもらって飲んだ。
寝る前に飲むように1つ置いてもらった。
それから両親と少し話して両親は帰った。
わたしはゆっくりとベッドに寝転がった。フレームがないだけでこんなにも枕がフィットするのかと感動した。
少し寝てから夜ご飯が運ばれてきた。まだ食べる気力もなく残してしまった。
ご飯を食べ終わってから1時間以内に点滴が終わったため外してもらった。知らない間に夜勤の看護師さんに交代していた。
夜勤の看護師さんは昨日の日勤の看護師さんだった。看護師さんはいつ休んでいるのだろう。
母と手術まえに会えたか聞かれた。よくよく聞くとわたしが手術に出たすぐあとぐらいに病室に来てくれていたようだった。大部屋のため前にいてる方がわたしが手術室に行ったことを両親に告げていてくれたそうだ。ありがたい。
点滴がなくなると自由である。歯磨きをしてトイレにも歩いて行けた。
夜のバイタルチェックの後SNSに無事を投稿したところ友達やらみんながよく頑張ったと褒めるメッセージをくれた。ここでまた泣いた。やさしいせかい。
しばらくして疲れて眠かったので消灯時間には早いが寝た。痛み止めを忘れずに飲んだ。
うとうとしてるころ何度かカーテンを開けていろんな看護師さんがわたしを見に来ていた。要観察対象でもあったのだろうか…。
そういえばわたしの前にガンマナイフを受けた人に会わなかったがICUなどに入ってしまっていたのか…。その方が助かっていてほしい。
手術から3週間経って忘れていることもありそうだがここまで。つづきはまた。