人生の厳しさ…高校時代①
エスカレーター式で高校生になった私は、いよいよ更に行動範囲を広げて行く。
いや実際は中学生時代から、奈良から宝塚まで遊びに行っていたので行動範囲は広かったが、その範囲ではなく、宝塚音楽学校の受験生としての範囲を広げていくことになる。
その頃の宝塚音楽学校は、子供アテネと別科という未来のタカラジェンヌを育てる学校附属の習い事の様なことをしていた。
今はもうその制度は無いが、当時はそこから合格する人も沢山いた。
アテネは小学生から入れるし、別科は高校生が通う事が出来た。実際の校舎内で、学校生が使わない日曜日や平日の放課後に音楽学校の先生から芸事を習うのである。
私にはアテネや別科に通う事が叶わなかったが、宝塚音楽学校のバレエを教えてらっしゃる先生の教室にバレエを習いに行くことにした。
その教室には、普通にバレリーナを目指す方、趣味で習っていらっしゃる方、そして私のように宝塚音楽学校を受験したいけど、どうすればいいか分からない学生など、色んな方がレッスンしていた。
私は、普通に週2バレエのレッスンをして発表会なども参加して楽しく過ごしていた。
しかし高校2年生の夏のある日、突然先生から声がかかる。
「○○駅にある私の自宅の稽古場にレッスンに来なさい。宝塚受験する子の為に特別なレッスンをしているから。」
私は恥ずかしさもあって受験することを先生に言えずに黙々とバレエを習っていたのだが、完全にバレていたのである。今考えると当然の流れなのだか、とにかくその受験の為のレッスンに参加することを許され有頂天になった事を今でも、はっきりと覚えている。
週末いよいよ、先生の自宅内の稽古場に向かった。
「初めまして、宜しくお願い致します。」
緊張した私を迎えてくれた子達は、想像を絶する錚々たるメンバーだった。
アテネ出身、別科出身、ご両親やお祖父様が有名人や芸能人、宝塚の演出家や音楽家のお知り合いの人…
もちろん私のような普通の子もいたけれど、ほとんどの子は何かがありこの稽古場に通っていた。
一見さんお断り…なのだ。
名古屋から毎週新幹線で通ってる子や長野県や石川県から親戚の家に泊まったりしながらレッスンに来ている子もいた。
とにかく、みんな華やかで可愛い子ばかりだった。(もちろん例外もいたけど…)
タカラジェンヌはこういう人がなるんだね〜って他人事のように納得した。
これで私もやっと、スタートラインに立てた気がして本当に嬉しかった。
いよいよ私の本気レッスンが始まるのである。