夢に溢れた中学生
小学校4年生で、すっかり自分の将来を決めていた私は、宝塚音楽学校に入学するためにせっせと準備を始める。
今考えると、時代の加勢もあったが本当に好きな事を好きな様にさせてくれた両親に感謝しかない。
宝塚受験のために、ある程度勉強していれば、エスカレーター式で上がれる私学の女子校を中学生受験させてくれて、学費やお稽古代やそれに纏わる様々な費用を出してくれた。
宝塚受験は中学3年生から高校3年生までの、4回受験のチャンスがある。
逆に言えば4回しか受けられない。
1回で合格する人もいれば、4回受験して、やっと合格する人もいる。もちろん4回受けても不合格にもなる。
奈良の田舎に住んでいた私は、近所のバレエ教室に通い、声楽は小さい頃から習っていたピアノの先生にピアノと共に歌もお稽古してもらう程度で当時の私は、まさか宝塚受験専門の受験スクールが存在する事など知らなかったのだ。
中学生時代の私は、自分の受験の事より宝塚観劇にどっぷりハマっており、愛読書は宝塚グラフと歌劇、平日は夜遅くまで録画した宝塚のビデオを見て、土日はだいたい往復4時間かけて宝塚に遊びに行き、楽屋入り待ち→観劇→楽屋出待ちという勉強そっちのけの生活を送っていた。
ある方の私設ファンクラブにも入会しており、そのファンクラブの活動(並びというチケット発売日に並ぶファンクラブ特有の活動があった)で時間を費やし、お茶会なども参加し、中学生ながらも大人並みにバリバリの宝塚ファンだった。
宝塚への愛は人一倍あったはずだが、受験することや、自分がタカラジェンヌになるという現実的な思いが欠けていた。
その事に気付くのは1回目の受験の時だった。
中学3年生になり願書を取り寄せて、受験用の写真を撮り健康診断を受けて何にも考えずに受験当日を迎えた。
記念受験という言葉があるのだけれど、まさにおのぼりさん気分で、宝塚音楽学校の校舎に入って中を覗ける事が嬉しいだけの受験になり、箸にも棒にも引っかかるわけもなく、あっという間に1回目の受験が終わってしまったのだ。
まぁ受験内容も分かったし、まだチャンスはあるし来年は、受験せずにガッツリ頑張って、お稽古して高校2年生でもう1度受験しようと決め、のんびりと高校生活をスタートさせるのでした。
自分の数ある欠点も知らずに…