朱音ちゃんの介護日誌、最終回
こんにちは、安部朱音です。
突然のことではありますが、この、朱音ちゃんの介護日誌今回で最終回です。
父が先日9月21日に他界しました。
半年前に、余命宣告をされ、覚悟はしていました。
生命保険の事や、父が一人暮らしをしていたアパートを引き払い、施設に入所させるためのお金を作ったり、色々準備をしてきました。
しかし、7月ごろから、胆管炎からくる熱が多発し、きずけばずっと9度台の熱。
そのたびに入院させるのもらちが空かなくなり、施設で出来るケアをすることになった。
食事も水分の取れなくなり、尿を作ることも体は辞めた。
血圧も低い状態が続き、お見舞いに行っても、起きていることは無かった。
父が亡くなる4日前、私は、ずぶ濡れになりながら、仕事をした。
その時点で自分の身体の異変に気が付けば良かったのだけど、見過ごしていた。
19日は落ち着いていたが、20日熱を出し一日寝て過ごした。
夜になり熱は上がる一方だった。
そんなタイミングで、危篤の連絡が入る。
熱は38度6・・・・・
色々アウトな状況だった。
この時点で、看取ることは諦めざる終えなかった。
仕方なく、施設からも1時間かかる場所に住んでるおじさんに、施設に行ってもらう事になった。
3時30過ぎ、亡くなったと連絡が入る。
半年の猶予があると、意外と冷静でいられた。
私は、朝を待ち、抗原検査のキットで陰性を確認してから葬儀場に来いと言われ、ちょうどキットを探すため、外に出たタイミングで施設の方からお悔やみの電話がかかってきた。
施設にある検査キットを持ってきてくれることになり、救われた。
陰性が出たので、葬儀代を下ろし、葬儀場へ
私が動けない分、おじさんが葬儀場の手配や色々進めてくれた。
15時頃だろうか、湯潅が始まる。
女性の納棺師さんが二人がテキパキと準備を進め、服を脱がせお風呂に入れる。
お風呂に移すため、頭を直接持って下さいと言われ父の頭を持つと首が座らない赤ちゃんみたいで、焦った。
自分の手の中で、父の頭がコロコロと動く。
旅支度も無事に済んだころ、従妹家族が来た。
いとこの息子(小1)と違ういとこの娘(小1)、1才にならないくらいのちびっこ。
お通夜の直前、家族控え室は保育園みたいに賑やかだった。
お通夜のお経が終わり、隣に座っていたおばちゃんの手には、ちびっこが渡した5円チョコがたっぷり握られていて、思わず笑いそうになったww
家族葬の良いところかも知れないと思った。
子どもがキャッキャしても、気にすることなく、席を離れても良いのだ。
小さい子ども達は飽きれば、追いかけっこをしても良いのだ。
いや、追いかけっこは、お坊さんの邪魔になるけど、静かに遊ぶぶんには、誰か大人が一人ついていれば、それでいい。
そう感じた。
夜は、葬儀場に叔父さんと叔父さんの娘と孫。
そして、急遽泊まりたいと言い出した、もう一人の叔父さんの娘の娘(小1)と私で泊まる事になった。
子ども達は、葬式的なイベントが初めてだったようで、大興奮。
1時間くらいしか寝ていない。
何かを発散させるかの様に、反抗し、やりたい放題だった。
ゲームをしていたかと思えば、棺の中がみたいと言ってみたり、棺の中を見て、このおじいちゃん怖いね。と言ってみたりww
なかなかハチャメチャな夜だった。
最終的には男子の着替えスペースに閉じ込められ、静かに携帯をいじっていて、静かになったから扉を開けると、私の携帯ゲームの画面を見て、おばちゃん、それやらせて!と目を輝かせ、結局、叔父さんが起きる6時くらいまで、小1コンビはずっとゲームで遊んでいた。
こんど、ずっと遊んでいないツムツムをあの子たちの為に入れようと思った。
出棺して、焼き場に到着しバスの中にカバンー忘れた事に気付きワタワタする。
名前を確認し、骨にする。
控え室に行くと、子ども達のかけっこがはじまった。
焼き上がり、集骨室へ行くと、係の方が私を呼び、名前を確認し、炉を開けた。
集骨室に戻り、骨をみんなで拾う。
さんざん、怖いから骨は拾わないと、言っていた、小1男子が骨を拾う作業が楽しくなったみたいで、気づけばめちゃくちゃ拾っていた。
気づけば、私の事にも興味を示し初めていて、おばちゃん、おばちゃんと引っ付いてくれていた。
嬉しかった。
係の方が私に対して、埋葬許可証の説明をしているタイミングで、頭蓋骨を入れて良いかなんて聞いてくるから、正直、埋葬許可証の話しは耳に入らず、情報量が多すぎて、パニックになりかけたが、やっぱり、可愛いかった。
頭蓋骨は喪主が入れる役目らしく、係の方にお願いされた。
その骨は、おばちゃんが入れるから、置いておいてと言うと、おばちゃんずるいとふてくされたのがまた、可愛かったww
翌日の骨納めにも、小1男子が来てくれた。
初めて、お墓の中を見て、初めて、骨納めなんて経験したであろう小1男子は、最後までやんちゃだった。
きっと、父も喜んでるだろうな。
子ども大好きだったから。
最後に、生前父に関わって下さった皆様、父が大変お世話になりました。
この介護日誌は、勝手ながら今回で最終回にしたいと思います。
いままで、呼んで頂きありがとうございます。
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