やわらかな仏教のことば 3/1250 「非時(ひじ)」
仏教辞典を繰っていて、わたしもはじめて知った言葉です。
一般的な辞書においては、上記「仏教では……」の意味しか載っていないものも多く見受けられました。
ですが今回は元の意味、
「ふさわしくない時」そして「ふさわしい時を待つ」について綴ってみたいと思います。
物事に「ふさわしくない時」があることについては、やはりみなさんも実感しているのではないでしょうか。
どれだけ強く願っていても、
どれだけ努力を重ねていても、扉が開かない時。
そうした時、
折れてしまうのではなく、抗わずに「寝かせて」みます。「発酵」させるのです。
ただ置いておく訳ではありません。
きちんと手は入れる。
見守る。
「それ」が完成したかたちを思い浮かべる。
こうしたことが「発酵」と「腐敗」の分かれ目になるのではないでしょうか。
非時の「今」ではない、
もっと大輪の花を咲かせる時を待って、
積極的に「寝かせ」ましょう。「発酵」させましょう。
それは、「何もしていない」とはまったく違うのですから。