わたしたちは何を「応援」しているのか①

「どう考えても◯◯が好きだったら、もっと楽なのに」
ということは往々にしてある。

──今回は野球の話だ。

大阪に住まいしながら(よくよく数えてみれば)ヤクルトスワローズを応援しはじめて20年を超えてしまった。
そして現在、誰か特定の選手を応援しているということはない。
チームを応援している。

観戦の交通の便・周囲との話の通じやすさで言えば、阪神ないしオリックスを応援する方がずっと

けれどこういう人がわたしひとりではないことも、わたしは知っている。

これはいったいどんな感情なのだろう、としばしば考える。
いろいろな便利さ、楽さ、勝利を味わう・分かち合う快感を捨て、人は時に万年最下位のチームであっても応援し続けてしまう。
「万年最下位」と言わないまでも優勝からずっと遠ざかっていても──
それはつまり、応援している「チーム」の構成員がすっかり変わってしまっても、ということを意味する。

その時わたしたちは、何を応援しているのか。
何を愛しているのか。


ところで、わたしの家にはテレビがない。
だから野球中継をテレビで観ることがあれば、出張先のホテルで、ということが多い。

普段見ることはない組み合わせ。
けれど「知っている」選手の応援歌。
その選手のことはちっとも知らないはずなのに。

②へつづく

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