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私たちは簡単に立ち止まれる

私とは、私が今まで受け取ってきた情報の集積物だ。
だから、おそらく、金輪際、一切の情報を断つことができれば私はさほど変わらないだろう。
あえて、さほどと述べたのは、私の今までの情報の要素をどう捉え直すか、そしてどう組み合わせるか、またどこまでそれを深堀できるかで、自己内にある情報が変わる可能性は高いかりであり、新しい情報を得ることと同じだからだ。

しかしながら、外界の情報による人格の変化ほどに、自己変化の影響が大きいものはないように思われる。
前述した、要素の再定義や、再構成、熟考をするかしないかのキッカケは、ほとんどの場合、外界の事象によるものだからだ。
もし、私が精神と時の部屋のような場所に数年間放り込まれ、外界の事象を受けることができなくなったとしよう。外からの情報がなくなり、やることが無くなれば、私は物思いにふけったり、瞑想をしたりして、自己ないの情報の再定義を始めるかもしれない。
しかし、これは私自身の決定というよりも、精神と時の部屋のような場所に長い時間居る、という新しい体験が私にそうさせているのである。

ということは、一切の情報を断つことは、知覚できないレベルで、ある一定の期間や行動をループをするということになるだろう。
知覚できるレベルであれば、あなたは何か行動を変えようと思うが、それが知覚できないレベルであれば、おそらくあなたは一生変わらない。

これほどゾッとするものはないだろう。


逆張り わたし作

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