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もし虐待で悩んでる人がいたら

もし、あなたが虐待で悩んでいるなら、すぐ逃げてほしい。
あなたは、自分が悪いと思っているかもしれない。
でも、家に帰りたくないと思ってるなら、それは逃げるに十分に値することだから。

自分の家に帰りたくないっていうのは、辛い。
わたしは、あるとき、夏休みが来て、がっかりした。
学校にいる時間が、せめての楽しみだったから。

でもそれも、家庭環境が劣悪であれば、いずれ生活にも影響が出る。
何か欠落したものを、若いうちから持っていると、周りとは少し異質な存在になってしまう。
実際、わたしは、その何年か後にイジメに合った。
虐待環境から抜け出した後だった。

虐待っていうのは、心を蝕む。
だから、その時、そこから離れられても、必ず何か影響がある。
恋人関係かもしれないし、友達関係かもしれないし、それはわからないけれど。
もちろん、それらも人生のスパイスと言えるかもしれないけど、わざわざ辛いことを我慢して受け入れる必要なんてない。

虐待環境にあるなら、すぐに逃げてほしい。

ただ、虐待する人が賢いと、なかなか周りに信じてもらえないかもしれない。
市役所の人もとてつもなく忙しいし、学校の先生もみんながみんな真摯に聞いてくれるとは限らない。要は、彼らも人間なので、ある程度緊急度が高くないと、私たちを助けてくれないかもしれないんだ。

そういう時は、ものごとをでっちあげてもいい。
でっちあげるっていうのは、何かされたことをよりおおげさに見せるということ。
お腹を殴られ、蹴られれば、息は止まるけれど、アザはできない。それで、家に帰るのが1番の恐怖だったとしても、児童相談所の人は助けてくれないかもしれない。なぜなら、証拠がないから。
だから、腕とか足とか見えやすいところにアザを作ったっていい。
わたしは、そうした。
わたしへの攻撃対象は、主にお腹と、精神であった。
だから、腕や体にアザを作って、先生に相談した。
相談したというより、家に帰りたくないと、言った。

小学生2、3年生の頃である。
今は24歳である。

途中の人生で、自分が悪かったのかと、何度も思ったけれど、今はそうすべきだったと言える。
母は悪い人ではなかった。虐待をしたのは再婚した父だけだったが、母は再婚相手に精神を握られていた。
文字通り、誰も助けてはくれない。そんな時がある。
それでも、自らアザを作ってまで、逃げることができたのには、幼いながらにこだわりみたいなものがあったから。

それは、こんな扱いを受けるのは不当だ!という思い。小学生だったので、全く同じように思っていたわけじゃないけど、今言葉にするとそうなる。

そう。あなたは、こんな扱いを受けるのは不当だ!と思っていい。きっと、心の中のあなたはそういう熱い思いを持ってるはず。その気持ちに従っていい。

わたしは論理的に考えるのが苦手だから、長々と書いてしまったけれど、きっと1番言いたかったのは、最後の言葉だ。

自分の気持ちに従っていい、ということ。

間違いかもしれない。確かにそうだ。
でも、一度それをやってみてから、振り返ってみるといい。
きっと、ああやっぱりこれでよかったんだと思えるよ。

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