崇教真光の信者さんから手かざしを受けたときのお話
来訪、崇教真光のおばちゃん信者
自分が何者なのか、この先どう生きていくのか、まったくわからないまま自堕落に過ごしていた22歳の無職時代、僕は崇教真光の信者である親戚から手かざしを受けたことがある。
あの日は、日差しの温かい春の日だった。
「ちょっとこっち来なさい」
母が自室にこもっていた僕に声をかける。どうやらわざわざ広島から親戚のおばちゃんが来たようだ。しかも、突然に。おいおい、我が家は千葉にあるんだぞ、いったい何の用なんだ。
驚きと面倒くささを感じつつ、リビングに向かい、机を隔てて広島のおばちゃんに挨拶をする。そのとき、いったいどんな会話を交わしたのかは、ほとんど覚えていない。
だけどしばらくして、おばちゃんの口から奇妙な言葉が出てきたのは覚えている。
「私、手かざしでガンが治ったのよ」
母と僕、広島のおばちゃん、3人しかいないリビングは、奇妙な雰囲気に包まれていた。
おばちゃん側の雰囲気は、まるで奇跡を目撃したかのような高揚感に包まれている。いっぽう、突然の来訪者に困惑しているこっち側は、手かざしという胡散臭い話のタネをぶちまかれ、どうやって処理していこうか頭を悩ませている。
そして、内容は覚えていないが、広島のおばちゃんの宗教的マシンガントークがはじまり、一向に止む気配はない。
正直突然の来訪者からよくわからない宗教の話を聞かされるのは苦痛であった。
だけど、おばちゃんの気持ちもわからなくはない、というのも本音だったと思う。 広島のおばちゃんからすれば、ガンにかかり絶望の淵に立たされるも、手かざしで治った(と思っている)のだから、そりゃあ周囲に話したくもなるよね、と。
だから、母と僕は無意識にキャバ嬢の「さしすせそ」を使いこなし愛想よく話を聞いていた。
そして、愛想よく聞いている僕たちに気をよくしたのか、広島のおばちゃんはついにそれを口にする。
「手かざし、受けてみない?」
どうやら手かざしを受けると幸せになれるとのこと。
言っておくが、千葉住みの僕は広島のおばちゃんにはまったく馴染みがなく、ほとんど赤の他人に近い状態だった。
「出会って数秒で~」みたいなネタがアダルト界隈で一時期流行っていた気がするが、今回の話をあえてそれっぽく表現するなら「出会って10分で手かざし」だ。
面倒くさいとは思いつつ、わざわざ広島から千葉まで来たおばちゃんを無下にするわけにもいかず、僕たちはガンが治ったご祝儀的な手かざしを受けることに決めた。
最初は母からだった。正座させられ目を瞑らされた母の額付近に手かざしを始める広島のおばちゃん。 実の母が目の前でよくわからない宗教儀式に参加させられる様を見させられた当時の僕がいったい何を思ったのか詳細には覚えていない。
ただ、突然の来訪者により僕たちの平凡な日常に一瞬だけ非日常的空間が生まれたと感じたことは確かだ。
続いては僕が手かざしを受ける番に。
正座させられ、目を瞑られ、手かざしをうける当時22歳無職の僕。
どうせインチキだろ、と思っていた。
しかし、手かざしを受けて十秒ほど経つと、なんと額の部分になにやら温かさ、いや熱さを感じるではないか。
「あれ?これが手かざしの力なのか?」
まさかの展開に内心驚きを感じつつ、おばちゃんの合図から目を開ける僕。
ふと窓ガラスに目を向けると、直射日光が僕の顔面に直撃しているではないか。
…なんだか少し残念なような、安心したような、複雑な気持ちだったことは覚えている。
そして、無事に?手かざしが終わると、軽い世間話をしておばちゃんはそそくさと広島へ帰っていった。
我が家に残されたのは、いったいあの時間はなんだったのか、という冷えた空気感だった。
さて、手かざしを受けた当時22歳の若造だった僕も、もはや30代半ばのおじさんとなってしまった。果たして、手かざしの効能で幸せな人生を歩んでいるかといえば、決してそんなことはないと思う。
この歳で職歴もないワーキングプアとしてその日暮らしを続けて、なんとか命を保っている毎日だ。当然、こんな自分を愛してくれる人もいない。ああ、やっぱり手かざしは僕を導いてはくれなかったのだ…。
と思う反面、手かざしを受けていなかったら、もっと悲惨な人生を歩んでいたのかもしれない、と思わなくもない。
ともあれ、僕の平平凡凡な日常にわずかではあるが非日常的な経験を与えてくれた広島のおばちゃんには感謝したい。サンキューフォー手かざし!
【追記】おばちゃんが亡くなりました
先日、手かざしをしてくれた広島のおばちゃんが亡くなったと父から連絡がありました。
癌が再発したそうです。あまりに突然のことで周囲は驚いていると聞いています。
生前、親戚の結婚式で集まった際、周囲の輪に溶け込めずにいる僕に、気さくに話しかけてくれる明るいおばちゃんでした。
行動力がありすぎるが故、少々クレイジーなところはありましたが、優しくて、どこか憎めない人柄でした。
御霊のご平安をお祈りいたします。