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文書を読むのが好きだ。正確に言えば、自分のまだ言語化できていない情動をうまく言い表してくれている言葉や物語に出会えた時の喜びを味わうのが好きだ。それは大喜利を見ていて、天才的な言葉のフィット感に思いわず「うまい!」と唸ってしまう。それは自分だけのお宝を見つけた時のような感動だ。
だがいつからか、そういったセンスのある文章を読むと驚きや嬉しさ以外の「悔しさ」を感じている自分に気づいてしまった。先を越されたような、自分で見つけ出したかった宝物を他の誰かに先に見つけられてしまったような気持ち。そしてもう一つ、どんなに自分の気持ちをうまく代弁してくれたような言葉、文章に出会ってもそれは自分の言葉ではなく絶対に「ズレ」があること。他人の言葉をとりあえず借りて使っている、妥協しているような気持ち。
どんなに好きな歌を歌っていても満足できていない自分に気づいた。所詮他人が作った歌をどれだけ歌っても自分の心には辿り着けないのだ。自分の歌は自分で作って自分で歌うしかないのだ。
だから今日から888日の間、毎日自分の心の気づきをブログに書き続けようと思う。このブログの目的は単純明快、私が私自身に気づき続けるためだ。自分自身を見失わず、感じ続けるためのブログだ。
ルールを明確にしておこうと思う。まずその日のブログの期限はその日の日付が変わる前。1秒でも超えてしまったらアウト。1日に何回更新してもいいが書き溜めは禁止。文字数は888文字以上であること。ちなみになぜ888日かと言えば最近8のゾロ目が異常に目につくから。友人から聞いた話では8の数字は飛ぶか、踏みとどまって今までのループを繰り返すかの分かれ道となる数字らしい。飛ぶ、つまり自分の限界を破って先に進み9となるか、最初の1に戻りまた8までの道を繰り返すか。私は一つのことを継続して続けるのが苦手だった。コツコツ何かを積み上げるのも苦手だった。その苦手を超えたところにいる自分をそろそろ見てみたくなったのかもしれない。
このブログは誰のためでもない自分だけのために書くブログだが、全世界に別れた「あなた」という「自分」の記録でもある。「あなた」という「自分」のために、ここから見えるものと感じるものを書き続けていこうと思う。文章を書くって忘れていた自分に気づくための旅みたいなものかもしれない。887日後、一体どんな「あなたという自分」に出会えるのだろうか。それを楽しみに、このブログを始めたい。
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