
「美しい」の研究報告(9月)
見たり、触れたり、味わったり。日常の中で感じた「美しい」を掬い上げ、それについて研究した内容を綴る、日記に近い研究報告です。「美しい」ってなんだろう?そんな曖昧な感覚について深く考えてゆきます。
Taste
愛する人たちが出会うとき
代々木八幡にあるbruttoはお気に入りのお店の一つ。広々として落ち着いた、でもカジュアルで活気のある空間がとても好きだし、ここのパンとオムレツが大好き。この日、親友夫婦と、そして私の彼と初めてご飯を食べた。大好きな人と大好きな人が、出会うこと、みんなで美味しいものを囲むこと、初めまして、と会話が始まること。その様子が、嬉しくて、照れ臭くて、くすぐったくて、ずっとずっとこの時間が続いたらいいなあ、なんて考えて飲み過ぎる夜。また会おうね、と美味しいお店を後にする。

📍 brutto
Time
目を閉じて、観察して、

なんとなく、最近自分の本音で生きれてない気がするとき、変な力入ってしまっているとき、私は決まって建仁寺・両足院の坐禅体験に行く。
もう何回通っているだろうか。数年前にとあるニュースレターがきっかけで初めてそこで坐禅を体験し、それ以来半年に一度はここを訪れるようになった。
坐禅とは観察すること。目を閉じて、息を鎮め、周囲の音や風や香りを観察する。それが坐禅のお決まりのスタートだ。私は周囲をじっと観察し始める時間がとても好きだ。なんの変哲もない、当たり前に存在する場所を観察すると、徐々にそのものとの境界線が曖昧になってくる、その境界線の曖昧さを理解した時に、自分はこの地球に存在するちっぽけな器に過ぎないのだと感じ、不思議と幸せな気持ちになる。
日々悩み事はたくさんあるし、それらを受け入れるのは辛いけれど、全てこの広い地球のちっぽけな器の悩みに過ぎないのだと思うと、今抱えている悩み等どうでもよくなる。
悩みに感情が翻弄されるよりも、ちっぽけな悩みによって生まれる感情を愛おしく受け止め、さっさと手放してしまった方がよっぽど幸せだよね。
坐禅が終わるとすっきり力が抜けた私がいる。

📍 両足院「坐禅体験」
https://www.balletthenewclassic.com/
Product
いい靴は、素敵な場所に連れてってくれる
新しい靴を買った。シューズブランド「OAO」の「AKARI」。デザインももちろん素敵なのだけど、その靴が自分と同じ名前であることに強く惹かれて迎えた。私は昔からあまり靴に興味がなく、夏は安いビーサンを買って履き潰すまで履く。その足で行くのは大体いつもの場所。しかし、ちょっといい靴を迎えてからは違う。この靴を履いてるんだから、いつもより遠くまで歩いてみよう、気になってたお店に行ってみよう。そんな気持ちになるし、いつもと違う場所に行くと思いがけない小さな幸せな出会いに恵まれる。いい靴は素敵な場所に連れて行ってくれる。呪文のように昔から聞くこの言葉の意味が、27歳になってやっと分かった気がした。

Book
葉っぱのフレディ: いのちの旅
「いつかは死ぬのさ。でも、”いのち”は永遠に生きているのだよ。」(葉っぱのフレディ/レオ・バスカーリア)
「死んだあと、私の記憶は感情はどこに行ってしまうのだろう。」そんなことを考えるとどんどん怖くなって、小学生の頃、眠れない夜を過ごしたことがあった。大人になり、テレビでよく見ていた著名人や、知人や身内の訃報を聞くことが多くなり、「死」がより身近になる、けれども死後の世界はいつまで経っても分からない。命あるものは、いつか必ず死ぬ。私も当たり前にいつか死ぬ。しかし「死」とは何だのだろう。きっと死ぬまで、死んでからも分からない問に向き合うことで、より今を、じっくり味わいながら生きたいと思う。
📍 葉っぱのフレディ: いのちの旅