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「美しい」の研究報告(7月)

見たり、触れたり、味わったり。日常の中で感じた「美しい」を掬い上げ、それについて研究した内容を綴る、日記に近い研究報告です。「美しい」ってなんだろう?そんな曖昧な感覚について深く考えてゆきます。


Taste

まいにちの食卓での食事

何気ない自宅での食事が、美味しく楽しく感じられるようになり始めた7月。実のところ、私は友人や恋人と外食をすることが大好きだが、それと同じくらい自宅で食事をすることが怖い。これはきっと、過去に行ってきた過度なダイエットの影響だろう。自宅で食事をとることや、お腹いっぱいになることに、何となく罪悪感を感じ、うまく食べられない時がこれまで多々あった。うまく食べられないことにも罪悪感があった。しかし、食事は生命維持だけでなく、大切な人と共に時間を共有するためのものでもある。そう考え方を変えてから、食べる代わりに運動を習慣にしたり、食欲を抑えるために摂取していたコーヒーをやめたりと、いろいろと試してみた。もちろん、「太るんじゃないか」と怖くて仕方がなかったけれど、ちゃんと運動して栄養を摂っていると、むしろ体重が落ちていることに気付く。そうすると、食事の時間が少しずつに楽しくなってくる。
特別な外食も楽しいけれど、毎日の食卓での食事も、もっと楽しめるようになりたい。そんな些細な夢に向かって、一歩ずつ歩み始めた今月だった。




Time

限りある、当たり前の時間

小さなことから大きなことまで、お別れをすることが多いこの夏。そのうちの一つが、大切な家族であるロンちゃんとのお別れだった。私が小学生の頃の、あれは夏休み前だったか、セミの声が響く青空の下、ブリーダーさんのもとを訪れ、トイプードルの赤ちゃんをお迎えした、それがロンちゃんだ。

犬を飼うのが夢だった私にとって、ロンちゃんとの生活の始まりがとても嬉しく、毎日夢中になってお世話したり、学校から急いで帰ってきては遊んだりしてたっけ。しかし、中高生の頃は、ロンちゃんに八つ当たりすることも多かった。母にばかり懐いてるのが気に食わなくて意地悪したこともあったなあ。でも、私が苦しくて悲しくて一人でこっそり泣いてた夜は、決まってそばに寄って来て、濡れた頬を優しく舐めてくれていた。

一緒に遊んで、一緒に大きくなった大切な兄弟のような存在。人間である私の人生はこれからも続いていくのに、犬の一生はここまでなのか。冷たくなったロンちゃんの身体に触れたとき、大粒の涙が止めどなく溢れた。

命あるものは必ず終わりを迎える。そんな当たり前の事実を、事実として痛いほど突きつけられたこの夏。悲しいけれど、終わりがない人生もまた不気味なものだと思う。終わりが約束されているからこそ、今この瞬間がより輝いて見えるんじゃないだろうか。大切な人と心を通わせること、愛する人と笑い合うこと。そんな当たり前の日々が、いつ終わりを迎えるか分からないからこそ、味わえるときに味わい尽くしていたい。そんなことを考えながら、今日も私はセミの声が響く青空の下を歩いている。




Product

canomaのお香

数年前、リモートワークがメインになったのをきっかけに、お香をよく使うようになった。狭い部屋でも仕事と生活の切り替えがうまくできるようにするために。仕事終わりや寝る前など、オフ状態に導くためにお香を炊きはじめてから、眠りも深くなったように感じる。最近は、canomaの「松風」というお香を愛用している。海藻や椿、金木犀が入った、しっとりと華やかな香りだ。この香りは雨の日にもよく似合うので、梅雨明けが待ち遠しい7月の雨の日にもたくさん炊いた。憂鬱な雨の日も、このお香のおかげで少し前向きになれた気がする

📍 canoma「松風」




Book

spring

「踊ることは、祈ることに似ている。ーー誰が誰に祈っているのかは分からない。俺が俺に祈っているのか、俺が見えない誰かに祈っているのか、踊る行為が祈りなのか、祈る行為が踊りなって顕れるのか。」(spring/恩田陸)

恩田陸さんが、10年間の構想・執筆期間を経て書き上げたバレエ小説「spring」を読んだ。私自身、3歳からバレエをしてきたこともあり、このバレエ小説の登場に心躍り、細かな描写が詰め込まれたこの本を夢中になって読み進めた。その中で特に印象的だった一節。踊ることだけでなく、夢中になれる何かに打ち込んでいる時、その時間は祈ることに似ていると思う。それは、絵を描くことだったり、文章を書くことだったり。「こうしたい」という理想に向けて、あれこれと思いを巡らせ、「少しでも良くなるように」と祈り続ける。その結果、うまくいかなくても、成果がちっぽけでも、その祈り打ち込んだ時間には意味があり、その時間が人を前へと進めてくれるのではないかと感じた。

📍 「spring」




Other

選んだ道と、選ばれなかった道

7月には、幼少期からお世話になったバレエスクールの公演を観に行った。舞台上では、かつて共に過ごした友人たちが、ダンサーとして美しく舞い、振付家として素晴らしい作品を生み出していた。私が選ばなかったバレエの道で活躍する姿に、強く刺激を受けた。人生にはいくつもの道が用意されていて、どれか一つを選ぶことで広がっていくものだ。これまでの人生でも、選ばなかった道がいくつもあるが、その道をきっぱりと捨てるのではなく、少しでも触れてみることで、今歩んでいる道が予想外の方向へと広がっていくことがある。私はバレエという道を選ばなかった(諦めた)わけだが、今このタイミングで再び触れることで、いつか今の道とクロスすることがあればいいなと思う。
必死に掴んできたものでも、諦めて手放さなくては前に進めない瞬間は、これからもたくさんあるかもしれない。しかし、完全に捨て去る必要はないんだよ、と焦る私自身に言い聞かせるように肩を叩いてみるなどした。

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