「美しい」の研究報告(11月)
Taste
ただいま、美味しいお店
食欲の秋と言わんばかりに、美味しいものに沢山出会った11月。その中でも特に心に残っているお店を一つだけ。東京・蔵前にある「anno」での食事が忘れられない。ナチュールワインと日本酒、そして季節のお料理が味わえるお店。完全予約制で、店内の撮影は手元のみ可という情報から、敷居の高い場所なのかな…とドキドキしながら伺うと、まるで実家に帰ってきたような温かな空間が広がっていた。美味しいお料理と心温まる接客。ここにいれば間違いなくいい時間を過ごせるという安心感は、予約必須/撮影禁止という制約あってこそなのかもしれない。何もかも美味しい時間を、ごちそうさまでした。
📍めしと、さけ anno
Time
香りを選ぶ、という祈りの時間
いつもと違う場所に自分を連れて行きたくって香水を買った。
香りは私にとって日常のBGMのようなもので「強くなりたいときはこれ」「優しくなりたいときはこれ」と音楽を選ぶように気分によって使い分ける。お気に入りのお店で、自分のために香りを選ぶ時間は本当に贅沢だ。今いる場所からどんな場所へ自分を連れて行きたいか?どんな感情を纏いたいか?そんなことを思い巡らせながら、新しい香りという「音」を探す時間は祈りの時間でもあった。
この時訪れたのは六本木に店舗を構えるフレグランスブランド「FUEGUIA 1833」。ここで私は「Metáfora」という香りを未来の私のために選んだ。「メタファー(隠喩/暗喩)」という意味を持つこの香り。捉えどころのない、でも確かにある自分の感性や感情を静かに愛していきたいという祈りをこめて。
この文章を書きながら、この時間を思い返していると、昔読んだある小説のタイトルが思い浮かぶ。「ここは退屈迎えに来て」最後に読んだのは中学生の頃だったか。どんな内容かは思い出せないが、今の私に重なる話だったはず。でもその小説は今手元にない、誰かに譲ってしまったのだろうか。
📍FUEGUIA
Place
秋の京都に自分を置く
「禅友」という坐禅コミュニティのオフライン坐禅会に参加した。
昨年から禅の世界に興味を持ち始めた私は、定期的にお寺に坐禅を組みに行ったり、自宅でも組んだり。そして今回、屋外で組むとどんな感覚になるのだろう?と初めて京都・鴨川沿いで組んだ。
冷たい空気を纏う11月の京都に、自分一人をぽつんと置く。想像の通り、11月の京都の川沿いは非常に寒い。45分間組み続けられる自信はあったけれど、途中から寒さに負けて集中できなくなってしまった。しかしながら、ずっと視覚を閉ざし、45分ぶりに目を開けると目の前にはいつも以上美しい京都の景観が広がっていることに気付く。空の青と木々の緑のコントラスト、きらりと煌めく鴨川の水面。こんなにも美しい景色に囲まれていたんだと初めて気付いたようでちょっと怖くなった。私たちは日頃たくさんのものを与えられ過ぎているように感じる。ものも情報も何もかも。こうやって五感の一つを閉ざし、今この瞬間に集中することで一番近くにある美しさに改めて気付けるのではないだろうか。
📍禅友
Book
場所はいつも旅先だった
『旅とは、自分自身を見つめる精神的行為であり、自分自身に立ち返る行動である。要するに、独りになり、自分を取り戻すことが、旅の真意なのだ。(場所はいつも旅先だった/松浦弥太郎)』
著者が10代の頃から続けていた旅先での記録と記憶。まるで著者と一緒に様々な場所を旅しているような感覚になった。あと10ページ、あと5ページ…読書という旅が終わりに近づくことへの寂しさを抱きながら、本を閉じる。旅とは物理的なものではなく、精神的なもの。本という旅を終えた今、ここから先は自分の力で旅に出る。次はどんな旅に出かけようか。
📍場所はいつも旅先だった
Other
軽やかなコップ
11月は多くの出会いに恵まれた1ヶ月だった。何かを手放すことはいつだって痛さを伴うけれど、手放したぶんだけ新しいものが舞い込んでくる。そんなことを考えるたび、自分はコップみたいなものだなあと思う。コップにある古くなった水を外に流せば、その分新鮮な水が注がれて、またそれをいつか外に流し、新しい水を注ぐ。水の循環によって人生が形作られるから、私は生涯を通して流しやすく注ぎやすい軽やかなコップでありたいなあと思う。