真夏の田舎ぜんざい
甘味屋さんで食べるような
しゃれた「おしるこ」は好みじゃない
小豆がいっぱい入っている
お母ちゃんの「田舎ぜんざい」が
幼いころから大好き。
九州育ち、中学を卒業した母は
就職のため、大阪に来たのだという。
二十歳で父と結婚し、
すぐにわたしが生まれた。
右に父、左は母と
手をつないで眠る、四畳半のアパート。
やがて、妹も加わったので引越し。
部屋もふた間に増えた。
1970年の大阪万博を前にして
我が家の周囲の環境が変わっていく。
足をくじいた砂利道は、
大きなアスファルト道路に整備され、
材木置き場もなくなった。
秘密基地を作った空き地もなくなった。
壁に番号がついている
四階建ての団地がたくさんできた。
作業服のおじさんたちは減り、
背広姿の大人が増えた。
小学2年生、
転校生は増えるばかり。
その大半は、団地に住んでいた。
誕生日のたびに、招かれた団地の一室。
椅子とテーブル、テレビはカラー。
ベランダから見下ろした風景は、
学校のそれとは全然ちがっていた。
いちごのショートケーキ
白い皿に乗ったカップで紅茶を飲んだ。
お土産にもらった、おばさん手作りのクッキー。
アパート二階のわが家に帰ると
ついさっきまでの光景や出来事を
興奮気味に母に話していた。
それじゃあ、おまえの誕生日にみんなを呼ぼう。
母の提案が、ただただうれしかった。
真夏8月の誕生日、
悪友たちは、都合がつかず
新しい団地メンバーばかりがやってきた。
白黒テレビ、ふとんを外した四角いコタツ
カタカタと首の回らない扇風機
紅茶じゃなくて、コップの麦茶
そして、
白玉も、焼きもちも入ってない
お椀に小豆がいっぱいの
アツアツぜんざいが並べられた。
真夏の午後3時、
しろい湯気の向こうに見える
友達たちの戸惑った笑顔がゆがんでいた
その日の主人公は、逃げ出したかった
作り笑顔で彼らを見送ると
こみあげてくるくやしさと涙
小学2年生のわたしは振り返るなり、
知っている限りのひどい罵倒を
母に浴びせかけていた。
立ち尽くし、涙を浮かべる母に
耐え切れなくなって、飛び出す背中ごし
「ごめんね」という小さな声。
このあたりで記憶はとぎれる。
真夏の甲子園、
炎天下の球児たちの姿を見ると、
お母ちゃんの「田舎ぜんざい」を
食べたくなる。