エヴィキン人の地母神はエナなのか? ~シペと一緒に考える謎~
【はじめに】
本noteは「エヴィキン人の地母神/マザー・ファンゴの正体はエナではないか?」という考察に端を発してつくられたものです。
話の展開の性質上、【地母神=エナ】の言説を否定するような文章がしばしみられますが、あくまで本noteは一プレイヤーの解釈を基に考察したものに過ぎないこと、お遊びの一環であることはご留意ください。
なお、結論だけを先に述べますと、地母神/マザー・ファンゴ(フェンゴ)はエナの死体を神格化した、シペの対となる神でないか。あるいは、秩序神エナは死によって「肉体/左手の地母神」と「魂/右手のシペ」に分かれたのではないかと考えています。
この文章を見て面白そうだと思った方のみ、お進みください。
【前提知識】
【エナについて】
さてまず【地母神=エナ】を考えるにあたって、今回のピノコニーで重要な役割を担いそうな「秩序の星神・エナ」がどのような神なのか、あらためて確認します。
彼女について触れられているアーカイブや書籍、模擬宇宙の文章で、印象的な部分は以下のとおりです。
この画像からわかる秩序の運命の星神「エナ」には、以下の特徴があります。
①もっとも古い星神の一人。支配欲が強く、多くの災いを抑える
②謁見の際に、星神の指先が糸に触れると、破壊欲/心情の荒れが治まる。=何らかの形で人の心を落ち着かせる or 操る力を持つ。
③夢を操り、変化の意思に感染させるもの、混乱を呼ぶもの、狡猾で気まぐれな混沌なもの(例:アッハ)を許さない。秩序の一切の支配こそを是とする。 ※なお秩序だった滅びなら無干渉のまま見守る、とも考えられる。
④天外聖歌隊の歌声、及び音符はこの星神の声そのものである。
⑤エナは【目玉】が重要な神である
特に④については模擬宇宙の様々な奇物やピノコニーの資料でも重点的に掘り下げられています。
このことを踏まえるに、エナにとって音楽は重要な存在であると考えられます。
【地母神について】
さて、地母神がエナの影響を受けていた、あるいは同じ神であるならば、地母神もエナと共通する要素を持っていないといけません。
現在、エナとエヴィキン人の地母神の関係性が疑われているのは、ひとえにアベンチュリンの特徴的な瞳があげられます。
見ての通り、アベンチュリンはだいぶ毒々しい瞳の色をしていますが…このカラーリングはエナの背景にある瞳のカラーリングと似通っています。
この二つのカラーリングは偶然と言うにはあまりにも恣意的ですし、エナのシンボルは瞳、アベンチュリンはエヴィキン人特有の特徴的な瞳をしていると何度か指摘されていることから、この一致は運営も意図していると見ていいと思われます
このため、アベンチュリンとエナには何か関連がある→エヴィキン人の地母神はエナではないか? 説が上がっているのですが…
では、そも【エヴィキン人の地母神】はいったいどのような神だったのでしょうか?
これに関しては、エヴィキン人の地母神について語られた数少ない資料……「荒涼の惑星ツガンニヤ」の時限オーナメントのひとつ、「ツガンニヤの輪廻の結び目」についての説明文で触れられています。
上記の左の画像の一番下の文章を見てください。ここにはエヴィキン人が地母神「ファンゴ-ビヨス」をどのような神と捉えていたのかの説明文があるのですが……
曰く、エヴィキン人の地母神は出産・旅・計略に関わる全てをつかさどる神で、通常は【三つの目を持つ左手】として描かれていた。
エヴィキン人は『地母神はツガンニヤの山々のように沈黙して質素であると信じているため、彫像や賛美歌は彼女の庇護から自分たちを遠ざけるだけだ』と考えていた。
故にエヴィキン人たちは語らず黙したターコイズ隕石のネックレスこそが地母神が好むものとして考えた…。
つまり地母神は「讃美歌を嫌う」神であったというのです。
これは【地母神=エナ】説を唱えるうえで、大きな矛盾となります。
秩序のエナは聖歌隊という派閥を所有するほどに音楽と密接な関係を持ちます。
エナを取り込んだとされる調和のシペの資料からも、音楽との関係性は見て取れます。
これらの資料を見て貰えばわかるように、秩序と調和は音楽と密接な結びつきを持っています。
この点を踏まえると、地母神の「讃美歌を嫌う」特徴は、シペ・エナの特徴とは噛みあってないことがわかります。しかしエナと地母神が全く無関係だというならば、エヴィキン人の特徴的な瞳があれほど気に掛けられることはないでしょう。
またシペは、無性別ばかりの星神の中では珍しく「母」という呼び方をされています。
星神で性別が特定されるような言葉が使われているのは「母」と呼ばれたシペと、彼という代名詞が使われた『繁殖』の星神タイズルス、彼女と記されたイドリラくらいです。他の星神は基本的に”其”と表現され、性別が曖昧です。
それなのにシペには「母」という単語が用いられてます。また、シペのモチーフ元になったのはアステカ神話の穀物神「シペ・トテック」ではないかと言われています。この神は男性神ですが、死と再生の神の一柱であり、大地の神の属性を有しています。
それに、シペは三つの顔を持つ神様、アイコンも三つの勾玉。エナはトライアングルの奇物。地母神は三つの目を持つ左手……と”三”が共通しています。
これらの属性を統合するに、やはり、シペ、ひいてはエナとエヴィキンの地母神になんらかの関係があるのではないか…? という気がしてきます。
では、なぜ、エヴィキン人の地母神とエナ、ひいてはシペは似ているようで異なるのでしょう。
そもなぜ、エナが讃美歌を嫌うという誤解を、エヴィキン人たちはしてしまったのでしょう――なぜ、エナは自らが讃美歌を嫌うエヴィキン人たちの誤解を解かなかったのでしょう?
其はクリフォトのように人間に無関心ではなく支配的で、秩序を守るためならば積極的に人に干渉していたことが『帝国』からもうかがえます。だのになぜ、エヴィキン人たちの信仰は放置されていたのか?
また、エヴィキン人たちも自らの信仰する神がエナであるならば、其の声、讃美歌を耳にする機会がなかったとは思えません。なのにどうして、地母神は音楽を好まない…という考えがそのままになっていたのか?
この二つの疑問を解消する答えとして、
私は【エナはエヴィキン人たちが地母神として信仰するころには、干渉するすべをうしなっていたのではないか?】と考えました。
つまり「遺体信仰」です
【仮説:地母神の正体は宇宙から飛来したエナの死体説】
地母神の祈りの言葉には、『地母神があなたのために三度瞳を閉じますように』という一節があります。
この”瞳を閉じる”は一見すると「夢を見ている」「目を伏せる」という意味に見えますが……
地母神はそも「一年の最後の日に死に、翌日の新たなる一年の始まりの日にオーロラの光となって誕生する」という輪廻と転生を繰り返している神です。
そのため、ここにおける“瞳を閉じる”は眠っている・目を伏せるではなく、「死んでいる、だから目が開いていない」という意味なのでしょう。
そして【宇宙の蝗害】のアーカイブを見ればわかるように、エナは宇宙の蝗害の折に没しています。(この詳細な経緯は不明です)
今のところ、死した星神がどうなるかについては不明な点が多いため、断言はできませんが、しかしタイズルスが死してもなお繁殖を続けるスウォームがいるあたり、星神は死体、遺骸、余韻、名残……どのような形であれ、なんらかの【運命の残響】を残すことができるのでしょう。
エナも同様に同化した調和のシペに影響を残しているようで、ピノコニーにもかの神と関連する瞳の要素が見受けられます。
また【宇宙の蝗害】を起こしたタイズルスについては、以下の興味深い情報が明かされています。
『蟲の王』、『砂の王』とも呼ばれる彼は、地上を支配していた鞘翅の最後の一匹だからこそ、孤独感から自己増殖を繰り返した。死の間際に彼は自らの運命を捨てて生き残ろうとしたが、真の死からは逃れられなかった
其はクリフォトの手によって死亡している。しかし死亡後でも其の影響【繁殖の運命】は残っている(例:スウォーム)
アベンチュリンのキャラスト及び、ジェイドとの裁判での発言から「博識学会はタイズルスの遺骸があると考えている」。ゆえにエイジハゾ(詳細不明)の黄砂に埋まっているという嘘に騙された。
これらの情報は間接的にですが、『星神は死後でも強大な力を有している可能性』『星神の死体に莫大なエネルギーが秘められている可能性』、そして『星神の死体は死後すぐに消滅するわけではなく”残る”可能性』を指し示しています。
また【宇宙の蝗害】では、エナは太陽に例えられていますが……その際の修飾詞は”消えた””行方が知れない”などではなく、”盗まれた”と書かれています。このことが意味するのは信徒たちから盗んだ――奪った誰かがいるということです。
そして興味深いことに太陽が消えた後の描写には地母神が嫌う、もう一つのものが記されています。
この双子のように絡み合った彫像の正体は未だはっきりしていませんが…現状最も可能性が高いのは、“エナの力を取り込む前/取り込んだ直後のシペではないか”と考えています。というのも、模擬宇宙で開拓者がシペと会話した時の文字の色が二つに分かれているからです。
このときのアッハの”リレーでも構わない”、”エナが君になった”という言い回しを見るに、恐らくシペはこのときすでにエナをとりこんでいたのでしょう。
なお現在確認できるかぎり、【彫像】というワードが使われている人間は建創者などもおります。
ただ、下記の文章の【巨大な鉄槌】という言葉はクリフォトの鉄槌でしょうが、それ以降の「強烈な日光・白い布・パズルのピース」という言い回しはシペとの関連性が見て取れます。
そのため、宇宙の蝗害の彫像はシペに関連するワードと考えられます。
※筆者は「黄金と機械」が未クリアなので、そちらで彫像の記載があるかもしれませんが、今回は割愛しています。
彫像と讃美歌。地母神が嫌うものふたつがシペで言及されている。
また、地母神の恵みが「雨」、シペが「新たな太陽」に例えられているのも印象的です。晴天と雨天は通常、対比されるものだからです。
そしてこれらのことが偶然でないのならば、それは地母神とシペが【対照的な信仰体系】であるということを示唆している……
――つまり、エナの死後に、【地母神】と【シペ】という対照的な信仰体系が生まれたことを表しているのではないでしょうか?
こう考えたのにはある理由があります。それは二人の遺児……現在のピノコニーにおける台風の目の二人のアベンチュリンとサンデーの描写が妙に対比的に感じたからです。
【アベンチュリンとサンデーの対比性】
実のところ、サンデーとアベンチュリンは意図的に対比して作られた、設定されたと思わしき描写が多くあります。彼らの対比性は以下の通りです。
なお、対応要素については『ちびっ子ハヌの大作戦』と「倍額保険」での描写を参考に対比させました。以下、参考文献の該当箇所です。
見ての通りサンデーとアベンチュリンはどちらも【魅力的な外見と人の心を動かす声・話術】を有する人種で、幼少期に両親を失っています。(サンデーの両親に関する正確なところは不明ですが、ゴフェルに引き取られた点を考えるにどちらも死亡していると考えられます)
また、アベンチュリンの本名は「地母神の祝福を受けた子」、サンデーは「日曜日/神の礼拝日」と、どちらも神に祝福を受けるという意味に関連する語句であることが見て取れます。
それから、アベンチュリンをよく知るレイシオにも「彼と同じ考え方をする人間が〜」とその類似性を指摘されています。加えて、アベンチュリンもサンデーも左耳にしかピアスしていません。
そしてサンデーのステッカーの輪廻に至っては、もはやアベンチュリンのことを意識して作成されたとしか思えない言葉選びです。
彼のヘイロー・翼はキリスト教や天使がモチーフではないかと言われていますが、キリスト教には復活という概念はあれど、輪廻という概念はありません。
一方、アベンチュリンはカカワの日(輪廻の日)に生まれた子供であり、輪廻と彼の関係性は深いです。
しかし見ての通り、輪廻の言葉が使われているのはアベンチュリンではなくサンデーの方です。このため、サンデーのステッカーの文章はアベンチュリンのことも意識して作ったと考えていいでしょう。
またピノコニーでは多くの鳥モチーフのキャラがいますが……(駒鳥のロビン、アヒルとフクロウのDr.レイシオ、黒鳥のブラックスワン)
アベンチュリンとサンデーは鳥においても、対照的と言えそうです。
というのもアベンチュリンは花火やレイシオから【孔雀】と呼ばれていますが、その特徴的な瞳の虹彩が「鳥のアオバトを参考にしたのでは?」とXにて疑われていました。
この鳥は中国語では緑鳩、日本語の漢字表記では青鳩と書かれます。
ベルギーの作家・メーテルリンク作「青い鳥」で主人公のチルチルとミチルが探していた青い鳥のモデルは鳩でした。
青い鳩。青鳩。幸運の青い鳥と特徴的な目。アベンチュリンを作成するに当たって、この鳥がモチーフとなった可能性は高そうです。
さて、鳩はオリーブと共に平和の象徴とされていますが……
かの有名な『ノアの箱舟』エピソードにて、大洪水が起きて世界のすべてが海に沈んだ40日後、ノアは鴉を放ちました。しかし洪水の水がまだ引いていなかったため、鴉はとまるところがなく帰ってきました。
ノアはその後、さらに鳩を放しましたが、同じように戻ってきました。
しかしその7日後にもう一度鳩を放すと、鳩はオリーブの葉をくわえて船に戻ってきました。さらに7日たって鳩を放すと、鳩はもう戻ってこなかったため、ノアは安心して地上に戻りました。
鳩とオリーブが平和の象徴なのは、このエピソードが由来です。
逆に何の成果も上げなかった鴉の方は、その頭の良さから狡猾な鳥と見られ、古来より魔女や悪魔の使い魔と見做されてきました。最も一部神話体系では、「太陽の使い」や「神の使い」と認識されているので一概に悪い鳥とも言えません。
さて、そんな鴉ですが、夢境にはちらほらとその姿が見受けられます。
特徴的な瞳を有するこのカラスは、ヘイローや瞳の意匠を有するサンデーのカラス(使用人)と考えられます。
ちなみにサンデーは手羽男と花火に呼ばれていること、クック・ロビンのCockは【おんどり】という意味があることから、彼の表向きの鳥としてのモチーフは【鶏】という夜明けを告げる鳥の可能性が高いのですが……
表向きには朝の鳥である孔雀と鶏。しかし裏側は平和の鳩と鴉である。これも偶然というにはやはり何某かの作為を感じます。
以上の点を踏まえるに、アベンチュリンとサンデーはキャラクターの作成段階で互いを意識して作られたキャラクターである可能性が高いと考えられます。
そしてそんな彼らならば、彼らの信仰する神もまた対比的な描写があってもおかしくありません。
そんなことを思いながら生放送を見ていたところ、この説を補強するようなおもしろいものが見られました。
新しい週ボス/ディエス・ドミニです。
【調和の右手と天空の左手】
こちらは生放送内で流れた新たな週ボス候補…ハルモニア聖歌隊の「ディエス・ドミニ」です。
右手に指揮棒、なにやらサンデーと似たヘイローもちの謎の光の影を付き従えるこのボスですが、すでにいくつかの資料でその名前が確認できます。
また崩スタ考察で有名な方が、このドミニクス降臨のためにサンデーが生贄になるのでは? と言う考察をあげてらっしゃいます。
しかし本考察において重要なのはこれらの部分ではありませんので割愛。(気になる方は「ピノコニー 黒幕」で検索を)
本ボスが必殺技の直前に見せたモーションにこそ、今回の地母神考察で重要な部分が詰まっています。
”右手”をのばす、秩序の影響を受けた調和の使令。そして誰か分からないが天空から応じている”左手”。一見するとこの左手(以下:天空の左手と記載)は秩序のエナ、調和のシペの手のように見えます。
ですが、比較してみると、どちらとも言い切れない手をしています。
見ての通り、エナにはない親指が『天空の左手』にはありますが、しかし基本はエナと同じ白色で構成されています。
※ちなみに宇宙の親指の色が一番近いのは虚無の星神のⅨの色です。シペの紫は天空の左手に比べると若干淡い(薄い)色になっています。
シペでもエナでもない、あるいはシペでもエナでもあるこの手を見て、私は思いました
…左手だなぁと。
地母神と同じ左手だなぁ。しかもある場面の儀式と……エヴィキン人の手のひら合わせと似たような構図です。
この祈りの儀式「手のひら合わせ」は、アベンチュリン、及びエヴィキン人にとって重要な儀式であると示されています。
さて最後の「手のひら合わせ」においてアベンチュリンとカカワーシャは自らの左手と左手を合わせました。
しかし回想シーンにおける姉との手のひら合わせは、カカワーシャが左手であるのに対して、姉は右手で彼に応じています。
この場面が作画ミスでないのなら、どうして姉は地母神を意味する左手で応じなかったのでしょうか?
この時すでに彼女は、地母神の加護を得ることを諦めていたのか。それとも、弟にだけ地母神の恵みを託すべく、自らは地母神の恵みを得られないようにしたのか。
そも、手のひら合わせはどういう祈りだったのでしょう。
仏教において自らの両手を合わせる【合掌】の際の右手は仏の象徴で、清らかなものや知恵を表します。逆に左手は衆生、自分自身の象徴でした。
このため、両手を合わせることは「仏と一体になる、仏の帰依」を示しました。
この概念がエヴィキン人の手のひら合わせに通じるならば、左手のカカワーシャは「地母神/祈られる側」、右手の姉は「衆生/祈る側」になります。
カカワーシャは姉を含めたエヴィキン人にとって【最も貴重な宝物】、【一族を幸福に導ける財産】と言われていました。
当初、これは弟をなだめるための偽りだと思っていたのですが……
彼の手のひら合わせが「地母神」側であった――最早、生き神扱いも同然の依り代であったとするならば、姉が「貴方の幸運がお姉ちゃんが成功するよう護ってくれる」と口にしたのも、自然な流れだったのかもしれません。
生き残ることが難しくても仇を取ると憎悪に燃えていた姉も、
「雨は地母神の呼び声にして恵み。彼女に守られるこの雨の中で私たちは誇り高く死ぬ」とまで言った氏族の少女も
その誰もがカカワーシャが逃げることを容認した。
全ての雨が地母神の許しと恵みと考えるエヴィキン人にとって、それだけ、雨の中の生誕を許されたカカワーシャの存在は重要だった。
だから、手のひら合わせで只人の姉は【右手を差し出す】が、神の寵愛児のカカワーシャは【左手で応じる】
こう仮定してからもう一度、ディエス・ドミニのモーションを見てみます。天空の左手の人差し指と調和の使令の右手の人差し指がふれあう。その後、爆発し、四つの目が出る。
この四つの目がエナの力の解放だとすると、指を合わせる行動には二通りの可能性が考えられます。
①調和の使令といっても素体が人間なので、完全なる力の行使には本体のシペの力が必要→天空の左手の正体はシペである。
②天空の左手は【調和の使令/シペ】に欠けたものを補い、完全体エナの力を再現するのに必須→天空の左手はシペ以外の”何か”である。
このうち答えに近そうな方はどちらなのか? 我らが主人公が示してくれました。
主人公の新形態(『white night』でも見せた帽子姿)を見るに、ヤリーロでクリフォトの一瞥を受けた時同様に、今回の主人公は調和の一瞥を受けたと考えられます。
であれば、調和にとってセレモニーのドミニクスは好ましい存在ではない……――『秩序に汚染されたドミニクスが、調和のシペの命令に逆らい、”天空の左手”という異物を通して完全体時代のエナの力を引き出している』と考えられるのではないでしょうか?
そして、これは仮定に仮定を重ねますが……
星核ハンターのサムの存在やこれまでのストーリー的に『天空の左手』は星核、あるいは星神関係の何かだと推測が出来ます。
となればその正体が「調和のシペに取り込まれなかった部分、秩序のエナの左手」なのは自然な流れのように感じます。
ただそうなると、天空の左手と大地の神の地母神の間で矛盾が生じる気がしますが……
そもそもエヴィキン人の地母神は、地球とは異なる定義の神のようです。
【奇妙な地母神】
通常の地母神は大地の女神であり、出産・多産といった”母”の概念があるからこその地母神です。ところが、エヴィキン人の地母神には【子】に関連する話がありません。
彼女の『子』と言われたのは現時点(2.2実装以前)では、カカワーシャ唯一人です。加えて、彼女の依代に比肩されると考えられている石は【ターコイズ隕石】という外なる宇宙から飛来した落下物(その土地発祥のものではない)です。
極めつけには、彼女は大地の神なのに、雨が彼女の恵みとされています。
印欧語圏の地母神の多くには、それに対応する天父神がいます。
有名なところで言えば、ギリシャ神話の天空神ウラノスと地母神ガイアでしょう。
地母神ガイアは宇宙が何もない混沌の状態の時に誕生し、まず自分ひとりで天の神、海の神、山の神の三柱を誕生させました。そして三柱の内の一柱……天空そのものを神格化したウラノスと結婚。ふたりの間には多くの子供(時の神・クロノスなど)が生まれました。
また、この際にウラノスは自らの支配領域である天空から”雨”を降らせて、それを受け止めたガイアが治める大地には多くの生命――植物が生まれたのですが……
これは実は性行為のメタファーです。
精液(精子)が雨、大地が女体(子宮)であり、天父神がまいた子種が地母神の腹に根付き、そこから生命が生まれる。
この行為を、神話では「雨が降った」でたとえているわけです。
神話において、こうした性行為の暗喩はそう珍しいことではありません。そのため、有名な神話の地母には天父がセットになっています。
『日本神話』天父:イザナギ……地母:イザナミ
『ギリシャ神話』天父:ウラノス……地母:ガイア
『インド神話』天父:ディヤウス……地母:プリティヴィー
※二柱あわせて「ディヤーヴァー・プリティヴィー」という天地両神とされることも
『キリスト教』天父:父なる神……地母:(聖母マリア)
なお、株式会社miHoYoが制作しているスマホゲーム「原神」にはガイアという男性キャラクターが登場します。
彼はすでに滅んだ一族の生き残りで、他とは異なる特徴的な瞳を持ち、孔雀羽座の持ち主という、アベンチュリンと共通する要素を多く持っています。そしてガイアとは地母神の名前です。これは非常に興味深いつながりです。
もっともガイアの名前は日本語版特有の者、英語版の表記はKAEYA(カイヤ)なので、名前の元ネタはコクマルガラス(KAEYA)――イソップ寓話「虚飾で彩られたカラス」にて、落ちていた孔雀の羽をつけて着飾ったりする鴉――であり、とうの地母神とは何も関係ないでしょう。
ただ原神の突破素材「堅牢なトパーズ(Prithiva Topaz)」に名前が挙がっているプリティヴィーは地母神であり、天空の神と対の存在であると記されているため、「mihyoは”地母神と天父神が一対の概念である”という事実を知っている可能性が高い」です。
そしてそうなると「雨が基本は天父の領域であって、地母神の領域ではない」ことは把握されていると見ていいでしょう。
しかしエヴィキン人のオーブやアベンチュリンの回想シーンに、その天父に該当しうるような存在は確認できません。
これはなぜか?
当初私は【Kakava】との整合性によるものと考えました。
すでに幾人かが指摘されていることですが、カカワーシャ及びカカワの英語圏の綴りは【Kakavasha】【Kakava】なのですが、この文字にぴったり一致する祭りがあります。
それはトルコのロマ族の祝祭行事【Kakava】です。
これは、救世主ババ・フィンゴ(Baba Fingo)の民間伝承に基づく祭りです
ババ・フィンゴとは、かつてエジプトのファラオにロマが抑圧されていた時代にエジプトの兵士からロマたちを逃がすため紅海に導いた神父のことであり、
トルコのロマたちは、5月6日の朝にババ・フィンゴは復活して川から出てくるという民間伝承を信じています。
そのため、「救出の日」と決めた5月6日の前日の夜から焚き火を囲んでお祭りし、日の出を迎える、朝日と共にトゥンシャ川の淵に下ります
そして彼らは奇跡の日のために手や足、顔を水で洗ったあと、願いの木にリボンを結んで、川にろうそくを残しました。水が彼らに幸運をもたらすことを期待して服から靴まで、自分の所有物を洗って、祭りを祝ったのです。
曰く、「Baba Fingo Gelecek, Bütün Dertler Bitecek(父フィンゴが来れば、すべての悩みは終わる)」
※ちなみに地母神の依代と考えられているターコイズの別名はトルコ石でした。
この祭りを参考にしつつも地母神に置き換えたからこそ、天父の領域を侵食する地母神が生まれたのではと考えていたのですが…、ムービーでの「天空の左手」を見て、そもそも前提が間違っていたのでは? という発想に至りました。
日本に仏教が伝来した時、「天照大神の本地垂迹(別の姿)が大日如来である」と考えられたように、元来存在する地母神信仰に天空の左手が降臨したことで統合されたのではないか。
KAKAVAの日に地母神という全く新たな要素を追加して従来の地母神とかけ離れたように、エヴィキン人たちの地母神もまた大地の女神に、ターコイズ隕石を依代にするような外なる天空の神が融合された。
だから従来の星神体系から外れた独自の信仰なのではないでしょうか。
【仮説:まとめ】
さて結論をまとめる前にあらためて冒頭から述べた内容を振り返りますが
①【地母神=秩序のエナ】だとすると矛盾する点がある
②地母神と調和のシペは対比的描写がある。
③アベンチュリンとサンデーは対比的な描写が多い。
④地母神/アベンチュリンが「エナの肉体」、シペ/サンデーが「エナの精神」を引き継いだ信仰体系であるとすると筋が通る。
⑤調和の使令の右手と、地母神(推測)の左手が触れ合うことで多大な力を引き出せている→調和と地母神が揃うことで、完全なエナの復活に繋がる
⑥エヴィキン人の地母神は地球の地母神の定義にそぐわない。このため大地の神であるという点は後付け or 別の神の説明なのではないか
以上六点を踏まえて私が考えた仮説は、以下の通りです。
ツガンニヤ-IVは三大星系の境界地帯に位置し、長期にわたって複数の恒星の星風による影響を受けているため、銀河では「暴風の目」として知られる生存環境が過酷な惑星である。
このため、多くの住民は他の惑星に移り住んだが、一部の貧しい民はこの過酷な土地での生活を余儀なくされていた。彼らは星神にも助けられなかったため、独自の神・地母神を信仰していた。
あるとき、ツガンニヤに住む民たちは帝国の民たちから【秩序のエナの左手】を”盗んだ”(※帝国の民から見て)。
死後 or 切り離された一部であろうと星神の運命/エネルギーは莫大な恩恵を与える。エナのおかげでエヴィキン人たちは安全な住処/地母神の寝台を確保した。
民はそれを自らが信仰する地母神の加護と考え、「かつて生きていた星神の死体」の信仰という従来の星神体系から外れた独自の信仰形態を生み出した。
だが、死体はあくまで死体。長い時間のうちに虚数エネルギーは人の手に扱るものではなくなってしまう
結果、ツガンニヤに残された虚数エネルギーを扱う適性があったカカワーシャ(虚数属性)を除いた、全てのエヴィキン人がカティカ人によって虐殺。地母神信仰は滅ぶことになった。
一方、エナの本体 or 右手は調和のシペに取り込まれたが、其の秩序の運命は強大であったため、シペが其を飲み込むのも容易ではなかった。
そんな折、ピノコニーの夢境に星核が飛来。これに接触したファミリーのメンバーは長い時間をかけてエナに干渉され、復活のための手駒が着々と用意され――そしてロビンという最高の歌い手と、サンデーという極上の依り代が揃った今、調和セレモニーを通して復活を計画する。
なお、ディエス・ドミニは調和の虚数エネルギーを用いて秩序の虚数エネルギーを疑似再現することで、天空から、現在の自分の欠損を補う存在(地母神の左手)を招来し、古き法で再びこの世を支配しようとしている
――なんて、カカワーシャの幸運、なぜ死んだはずのエナの左手が天空から将来されるのかなどの説明が全くできていない仮説ですが…
とにもかくにも
【地母神とシペは対比された神であり、どちらもエナの死後に生まれた信仰体系ではないか】という結論を以て、本noteをしめくくります。
【終わりに】
こんな長文にお付き合頂いてありがとうございました。
ついに崩壊スターレイルも一周年ですが、私は今年の3月に入ってから始めたので、スターレイルを始めてまだ二か月もたっていません。それでもこんな考察をあげてしまう位にドはまりしています。楽しいですね、崩壊スターレイル!!
この考察が当たっているかどうかは定かではありませんが(というか外れている可能性が高い)
読者であるあなたがこれからもスターレイルを楽しむ一助になれば幸いです。
なお、おまけを付記しておりますが、これは仮説と違って本当に妄想全開なので……
【カカワーシャは死した星神・タイズルスの運命の行人であり、あまりにもその運命の道への適性があるために、黄泉と同様の使令になりかけている】……ってトンデモ理論なので
面白そうだと思った方のみお進みください。
【おまけ】
さて、長々とした上記の考察を見た方でやはりアベンチュリンの幸運はなに由来なんだと不思議がる人もいると思われます
まとめではそのあたりが煩雑になる為、「虚数属性だから~」と大雑把に説明しましたが、アベンチュリンの幸運はやはりただ幸運であると済ませるのは難しいレベルに達しています。
たとえばキャラストに書かれている、狂牛とのロシアンルーレットですが、なんと彼は回転銃の引き金を六回引いて六回とも不発でした。その後の描写を見るに弾倉にはきちんと弾丸が入っていたにもかかわらず、です。
この幸運はやはり、いずこかの星神の祝福のように思えてはなりません。
しかしそうだとして、いったいどの神がカカワーシャに生き残る……否、必ず『勝利する』幸運・祝福を与えたのでしょう?
【アベンチュリンの幸運はどの星神の祝福が由来なのか?】
まず幸運に関連する星神を調べるため、それぞれの運命とその特徴を見直してみます。
上の運命を見るに、アベンチュリンに”生き残る幸運を与える”星神がいたとするならば、「豊穣」「繁殖」「不朽」という生命に関連する運命か、面白さの為ならば何でもしそうな「愉悦」のいずれかになります。
そのため、これまでの考察では愉悦陣営に勧誘されていることを理由に「愉悦のアッハ」が祝福を授けたのではと考えてきましたが……
しかし私はここではあえて、「カカワーシャに生き残る幸運を与えたのは愉悦のアッハではない」説を主張します。
それはなぜか? 愉悦のアッハには生存に関する能力・運命が示唆されていないからです。
アッハは宇宙の蝗害/ゴンドラ・賞金稼ぎにて、人間たちが宇宙の蝗害に踊らされるようにノリノリで言葉を紡いでいます。しかしどの場面でも彼が行っていたのは言葉による誘導であり、直接的な祝福・自らの運命の力を授けることはしていません。
また、アッハが過去の蟲に与えたのも”無類の知恵”でしかなかった(身体的な強化はされていなかった)というのも気にかかる点です。
アッハは飽き性に見えますが、面白いことの為ならば列車に一年潜伏することも辞さない存在です。そんなアッハが本気で「虫、天才クラブ入れたい!」と思ったなら、その知能に耐えうる程度の身体強化はするはずです。
しかし、実際にそれをされなかった点を考えるに、アッハの祝福は精神的な面への干渉が主で、肉体面への干渉はあまり向いていないのではないでしょうか。
またアベンチュリンの幸運の特性は「必ず生き残る」「必ず勝負の場で勝利する(負けることはあってもそれは試合に負けて、勝負に勝つためのもの」です。アッハは面白いことに全力ですが、それはあくまで予想外があってこそ。すべてが決まっている予定調和の人生には面白みなんて何もありません。そんなアッハが「必ず勝ち続ける」という祝福をアベンチュリンに授けるのでしょうか。
むしろ必ず勝ち続ける少年が負けるような事態に遭遇するように仕向けることはあっても、必ず勝つようには仕組まないのではないか。
こう考えた為、私はカカワーシャの幸運がアッハの祝福であるという説には懐疑的です。
では、他に誰が祝福を授けたというのか?
私は今回、黄泉に注目しました。彼女は「虚無の使令」ではありません。しかし、あまりにも【虚無の運命】に深く踏み入ったため、使令クラスの力を有しています。
私はカカワーシャの幸運もその類なのでは? ――彼はタイズルスの祝福を受けた使令候補なのでは? と考えました。
なぜなら彼らは面白いくらいに共通点があるからです。
【アベンチュリンとタイズルスの共通性】
さて、アベンチュリンは、実は繁殖の星神・タイズルスと関連性が深いキャラクターでもあります。彼らの共通性については以下の通りです。
「文明化が絶対に不可能な食人野獣と称されるカティカ人の特徴の【血に飢えていて残酷で強欲】【残忍で欲深いから何も手に入れられない】は、
失踪した神……【領域の渇いた飲み手、終わりのない食い手、思考するブラックホール】【永遠に満足することなく世界を貪食している】「貪慾」ウロボロスと特徴が似ている
カティカ人にエヴィキン人たちは貪られた。タイズルスもまたウロボロスの餌となり続けた」
「宇宙の蝗害のアーカイブに【輪廻】と言う単語が使われていたり、タイズルスの運命の祖候補の【不朽】の龍の末裔・龍族や持明族の脱鱗が輪廻転生にたとえられるあたり、輪廻の関連性は秩序のエナよりタイズルスの方が強い。
なお、エヴィキン人の名前の由来は【蜂蜜】。タイズルスの祝福を授けられたスウォーム/swarmの意味は「群れ」だが、この語源の古英語「swarm」の意味は「蜂の群れ」である。
ピノコニーでロビンが殺される瞬間を目撃したのはアベンチュリンだが、モチーフ元であろう『誰が殺した、クックロビン』でコマドリの死体を発見したのは【蠅】。花火からは「エヴィキン人にはマンホールがお似合い」と揶揄されている。
アベンチュリンが博識学会を詐欺にかけた口実は【タイズルスの遺骸】の場所を教えると言う偽り。また、彼は砂漠出身だが、タイズルスの異名は砂の王。
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つまりアベンチュリンには虫に関連する言葉・モチーフが多く取り込まれている。
なお【宇宙の蝗害】に対抗するために人間を魔改造していたグラモス惑星出身の少女の名が【ホタル】である点も含めると、【宇宙の蝗害関係の子孫】は虫と関連する名・キーワードを有している可能性がある」
「タイズルスとアベンチュリン(そしてホタル)は、実は【自分以外の同種が全て殺されてただ一人の生き残りである】という点が共通している。
タイズルスが繁殖の運命の覚醒の経緯だが…
繁殖の誕生の予言を聞いた【愉悦のアッハ】が賞金稼ぎ等に特殊な夢を見せて、虫星系に誘導。
彼らはそこでタイズルス以外の全ての虫を大虐殺し、タイズルスは孤独な生き残りの一匹になってしまう。タイズルスはその孤独感と憎悪から繁殖の運命に覚醒して星神となった。
アベンチュリンは孤独な生き残りであるものの世界を滅ぼす気はないため、タイズルスと全く同じとは言えないが…彼は愉悦陣営から勧誘されている(=アッハに気に入られている?)
またタイズルスはウロボロスに食われ、エナの声かけに応じたクリフォトによってトドメを刺された(エナはなぜかこの前後で死亡している)が
エヴィキン人たちはカティカ人に襲われ、助力を求めたカンパニー(=黒いスーツの人)に見捨てられる形で死亡しており、タイズルスとエヴィキン人の仇がある意味で共通している」
「千の星をめぐる紀行PV『星空の寓話集・一』において、タイズルスの紹介の場面の字幕が『波(羽掻)は夢(知覚)へ。秤は崩れ(輪転)』と表記されている。
【羽掻】の辞書的な意味は「鳥のはばたくこと。一説に、自分の羽をくちばしでしごくこと」であり、虫のことではない。また夢という単語が出ていることから、ピノコニー(夢境)との関連性が現れている。
このことからピノコニー……というかエナとタイズルスには大きなかかわりがあると考えられる。
なお、アベンチュリンの秘儀「赤と黒の狭間で」の防御力バフ効果の名は三つ存在するが……高「豪雨」、中「うごめく暗流」、低「浦凪」とどれも水に関連するワードである。
このうち「浦凪」は穏やかに打ち寄せる海の波という意味である。タイズルスの蝗害は潮に例えられていた。上述したようにアベンチュリンは大虐殺の生き残りで、タイズルスとは境遇が似ている。
潮と浦凪。大虐殺の生き残り。そしてそんな彼らの輪転と夢」
以上の点から、私は「アベンチュリンの幸運は繁殖のタイズルスの運命の行人になっているのでは?」と想像しています。
もっともカカワーシャは生まれた時から幸運であったようなので、一概にタイズルスの祝福があったとは言い切れないのですが
たとえば
宇宙の蝗害の折のエナとタイズルスとウロボロスの衝突はツガンニヤ星圏で起きた。彼らの激しい争いでそれぞれの運命の虚数のエネルギーが大量に放出された結果、カティカ人はウロボロスの影響を受け、強欲になったが、エヴィキン人たちは幸運にも、エナ(秩序)とタイズルスの繁殖(自己増殖)の影響を受けて、生存に特化した一族/魅力的な瞳を有する人種になった。
しかし、タイズルスの祝福の本質は【孤独からの繁殖】である。
そのため、実際に虐殺が起きるまではタイズルスの祝福は弱い形でしか発揮されず、カカワーシャがただ一人の生き残りになったことで【幸運】という形になって現れた……
なんてことがあったのかもしれません。
あるいはもしかすると、アベンチュリンの壮絶なこれまでの人生はすべてアッハが「タイズルスが復活したら面白いかも~」といういつもの思い付きで、タイズルスと同じように繁殖の運命の依り代になる人間をターゲットに定めて、すべて主導したのかもしれません。
まぁ、この辺りはまだ根拠が弱いので、今後の展開を待っていきたいですね。
何はともあれ、2.2が楽しみですね。ではお付き合いいただいてありがとうございました。それでは、よいゲームライフを。
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