note戦記~やさぐれペンギン編~:なぜボクが指導を求めるのか
noteができる以前のことなので、少しnote戦記から離れるのだが、「指導を求める村」の見えない縛りをお祓いしないと誤解を生みそうなので書いてみる。来週は撮影案件で色々と飛び回るので今のうちに書けるだけ書く作戦♪
「なぜボクが指導を求めるのか」
ペンギン高校の時に陸上競技をやっていた。走り高跳び。指導者がいない部活だったから本を読んだりして少しでも高く跳べるように超頑張ったつもりw
高校3年生の4月。インターハイまでつながる最後の大会。どうにか都大会までいった。でも惨敗。そのときに審判をやっていた先生が声をかけてきた。
「君、あそこと、あそこを直すともっと跳べるよ」と。
そして。
「今、何年生?」
「3年生です」
「・・・そうか、遅かったか」
普通なら引退なのだが、悔しくなって教えてもらえる先生を探した。高校3年生なのに夏合宿は2つも行ったほど。他校の合宿に参加するのは、いまでは無理かもしれないが、「たまたま旅行に来たことにしろよ」とコッソリw
合宿参加の前には、陸上競技なんて知らないし普段練習にも顔を出さない顧問の先生が、1時間ほど一緒に自転車こいで「よろしくお願いします」って頭下げに行ってくれた。彼との一番の思い出であり今でも思い返すと涙がでる。
自分の身長よりも上を跳べなかったボクが跳べるようになった。ただ、自己流が長かったから変なクセがついていて直すには時間が足りなくて2mは跳べなかった。2mジャンパーって競技者の目標なんだよね。
同じ歳でオリンピックまで出た奴がいる。陸上競技の名門高校だった奴。聞けば最初の記録はボクと同じくらい。
「・・・そうか、遅かったか」
なんて言葉はもう聞きたくないし、聞かせたくない。3年生のときに色々と顔出したお陰で都内の有力な指導者を知り合うことができた。あと、その所属高校の生徒とも仲間になった。楽しかったなw
後輩に「・・・そうか、遅かったか」と聞かせたくないから、卒業後も合同合宿とか仕込んでいった。ま、そこまで強くなりたいと思っている後輩もいるから、ちょいと難しかったけど。
「平等」って言葉は難しいと思った最初の体験だけど省略。
やる気ある奴だけにとことん指導者紹介して、やる気ない奴には、楽しんでもらえばいいやとするという割り切りw
なんだかんだで母校のコーチは9年くらいやったけど、他校の指導者やら仲間を使って利用させてもらった結果、都大会で上位に食い込むこともできた。そしてボクが行きたくって仕方なかった関東大会にひとり出場した。
不思議だ。「そしてボクが行きたくって仕方なかった関東大会にひとり出場した。」って書いたとたん涙が出てきたw
これが仕事をする上での原体験的なモノになっているんだろう。
だから、あこがれていた業界NO.1が現われたときに、絶対このチャンスは逃さないって「自然に」感じたんだと思う。
思いの外、厳しかったけどねw
頑張って良かったと思う。というか、欲しかったから、彼のノウハウが。
・・・
もしボクに興味をもってくれたら、吸い取るだけ吸い取ればいい。そして、面倒くさいと思うようになればフォローを切ればいいと思う。
指導を求めていたボクがやっとたどり着いたモノ。運が良かったって人一倍に感じている。だからそれをシェアしたいだけ。気にする必要はなく、好きに利用して欲しい。
ではでは。