たぶん、涙が出るのは悔しいからだ。
古性のちさんの文章を読むたびに涙がぼたぼたと流れてくる。「そっか、のちさんの文章を読む=泣くという生理現象が私には備わっていたんだな。」と、すっと思えるほど、どの言葉を読んでも溢れてきてしまう。
素敵なんだ。とにかく。
どうしてこんなにも、誰にも見せまいと頑固に閉じて守っている私の弱いよわい、膜一枚で覆われている心の内部にまで簡単に侵入してくるのだろう。
嗚呼痛い。透き通っているのにどこか重たいのちさんの言葉が、読んだあと私の中に留まって離してやくれない。
のちさんが奏でる言葉にはのちさんが”あの時感じた気持ち”を、実際そこにいた時の温度や匂い、音、色にのせて五感全部に訴えてくるから、鮮明に想像できてしまって。とにかく。苦しい。
私の中に入ってくる言葉が増えるたび、またぽたりと流れる涙にふと疑問をもった。
そうか。
悔しいんだ。
私だってこんなに素敵な世界を生きているのに。
その世界をうまく言葉に写せないのが悔しい。
私もいつか書いてみたい。
誰かが涙するように、今わたしが感じている世界の全てを言葉にして
ともに、喜んだり、悲しんだり、苦しくなってほしい。
こんなにも私のみている世界は美しく、儚く、切ないという事実を、私の言葉で届けていきたい。
あ。でもね。
私は別に誰かに届くように言葉を紡いでいるわけじゃないんだ。
いつだって私は、いつかの私に届いたらいいなと思いながら綴っている。
この時の私はこんなことを考え、悶えていたんだな。
って、先にいる私が、わたしをこれからも愛でられるように。
悔しい気持ちを精一杯の涙に変えて。