月とスッポンと桜とセミ

【月とスッポン】
同じような容姿をしているが比較にならないほど違う2つのこと。

僕には3つ上に兄がいる。
過去に国際大学に通い日本人で優秀な100人が選ばれ、国のお金で短期留学に行けるという権利を勝ち取った兄。
「同じ親の子でも、僕と兄とでは月とスッポンだ」
このようなこと。

月とスッポン
すなわちこれは優劣や釣り合いが取れないことの例え。
どっちが「優」で、どっちが「劣」だ?

いや、普通に考えたら
代わりの効かない唯一無二の月と
川にたくさん生息しているスッポン
なので月が「優」でスッポンが「劣」となる

しかし最近ではスッポンは高級食材とされ
月なんて衛星は地球の重力に身を任せるだけで、夜空を照らす月の輝きは太陽のお陰だ。
ただのレフ板でしかない。太陽こそ唯一無二の存在だ。「月」を太陽にしよう。
「太陽とスッポン」にしよう。
だが月と太陽は似てるようで全く釣り合わないのでそれこそ月とスッポンだ。いや、太陽と月か。月(太陽)とスッポン(月)か。

日本の歴史にことわざ作りが流行った時代
トレンドになったのはきっと“あえ”だ。
“あえて”それで言う?という言葉を選び
想像しやすいシチュエーションにするのがトレンドとなっていたに違いない。
『秋茄子は嫁に食わすな』
『犬も歩けば棒に当たる』
想像しやすいし、あえてそれなんだと思わざるを得ない例えだ。

別に秋茄子じゃなくても旬じゃない食材で例えればええやん。てか男尊女卑の考えはもう古すぎるしこの令和では絶対流行らんぞ。
女性からは共感得られないだろうし、
不特定のよくある苗字にしたらいい。
「岸田に寒鰤を食わすな」こんなんでいい。

犬も歩けば棒に当たる。
犬、可哀想すぎん?
このことわざ作りが流行った時代ってどんだけ物騒だったん?
わぁ!犬が歩いてるぞ!棒を拾え!殴りに行くぞ!
こうはならんやろ。

だがいずれもあえてそのチョイスをするという大喜利感が当時はトレンドを飾ったのだろう。

なら『月とスッポン』より適した2つがある。
ここでタイトル回収といこう。
『桜とセミ』
1年に1週間ほどしか咲かない桜。
1年に1週間ほどしか生きられないセミ。
人々が集まり、綺麗と言葉をこぼす桜。
人々が避け、キモいと言葉を吐くセミ。

どちらも季節感がありオシャレだと思う。
月とスッポンなんかよりこちらの方が圧倒的に共感できると思う。
『月とスッポン』と『桜とセミ』では
月とスッポンだ。いや、
月(桜とセミ)とスッポン(月とスッポン)だ。

僕がこのことわざ作りが流行った時代に生きていたら、桜とセミを大きな声で唱えてたに違いない。その、先生かなんかわからんけどことわざ集を作ってる人に「桜とセミ」で行きましょう!と大声で訴えてるに違いない。

こうしてできた言葉が
「身の程を知れ」であっただろう。

なんてね

2024/5/3

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