引きこもり中の記録。私に近寄るな。
(何の事??な人はスルーでどうぞ)
2021年暗黒日記。違う。違わない。
まぁ去年から顔面麻痺などキナ臭い感じではありましたけどもね。
1月13日:網膜剥離で緊急手術で入院→その後数か月かけてやっと目も安定しつつあった4月→
4月09日:胆石発作により黄疸出て病院へ(基準値8~38の肝臓ASTが1660)結果色々検査を受け、ドクター第一声「自分、ヤバいで」。胆管結石と胆のう結石2度の入院手術を言い渡される。食事制限しながら検査検査の中、仕事どうしよう~また入院嫌だな〜何とかやらずに済まないかな〜と悩ましい日々を送っていた4月末→
4月28日:義兄がコロナに罹患(発症は23日)この頃大阪は感染拡大で医療崩壊してる真っ最中。当然入院先などなく義兄は自宅隔離。基礎疾患のある身体の弱い姉がその面倒を見る事に。LINEで姉と連絡取りつつ膨大な問題に対処サポートする日々。そして姉も感染。これさ、精神的ジゴク。
義兄は10日過ぎても高熱下がらず治療も出来ない、人の世話が必要だからその世話を感染者である姉がする。考えたらとんでもない状態だ。本来なら医療現場でするべき隔離と看護を知識も薬も何もない一般人しかも感染者がするのだ。病院を頼れない状況で。
その期間の不安はもう言葉では表せない。これは姉も言っていたが、自分次第で家族を死なすかもしれない恐怖。そして自分も移る可能性。それと世間(この時期の大阪だから)からの見捨てられ感がすごかった。それでも日々側で物の受け渡しやサポートしていた私が移らなかった事も奇跡だし、ちょっと長くかかりはしたが、5月19日には晴れて2人とも隔離解除となり陰性となった。
が、しばらくはその現実的余波と精神的余波で元通りの生活に戻れなかった。
それでも世界はまわる。少しずつ日常へと戻りつつあった5月末→
5月25日:気を取り直し溜まった推しの雑誌がぎっしり詰まった段ボールを整理しよう軽く持ち上げた時、ぎっくり腰になる。人生初だ。やっと、やっと落ち着いたのに!ココでメンタル折れた。折れた音がした。痛くて動けない日々、休めない仕事。本来なら1週間くらいで治るものが私の判断も悪かったのか2度悪化して6月半ばにやっと動けるようになる→
コロナから続いてのぎっくり腰で棚上げしてた胆石、この間痛みが出なかったし手術見送りでもいいかもと言われてたが甘かった。
6月20日:2度目の胆石発作、前回よりも強烈なやつ。翌日から高熱が出る。
6月23日:入院(いやもうええって。)
6月24日:胆管の石を取る内視鏡手術
いやもう、こんな事ってある?1個片付くのを待ってたように次々やって来ました。千客万来。違う。私に近寄るな。
まあ入院出来た事は良かった。4月なら無理だったかもね。
そんな中、ヲタクゴトなどはもう(厳密には家族のコロナ罹患から)頭になかった。コロナ期間中には周りのヲタ友ちゃん達からも元気?生きてる?どうした?などと連絡をもらったが、読んではいたが何も返せなかった。
コロナが発覚した時に、医療崩壊の大阪で不安しかなかった中、日々の記録や自宅療養の情報収集などをしたくて、古い垢を使う事にした。その時にヲタ友ちゃん全員のフォローを外すためにちょっと諸事情でと告知ツイをした事で、そのフォロワちゃん達だけが結果私の状況を知る事になった。
それ以外は落ち着くまでは連絡に対して返事もしてなかったので、本当に心配をかけました。ごめんなさい。コロナの件が終わって連絡しようにも次々と何か起こり状況が変わり、メンタルも下向き、生活も何もかもどこから手を付けていいのかわからなくなってました。(今もまだちゃんと手を付けれてない。)
こういう事って、その出来事が軽いものなら(それこそぎっくり腰だけとか胆石だけどか)わりとさらっと言えてしまうが、コロナ渦中などはどうしていいかわかりませんよね。てかココまで続かなければもう少し連絡に対してまともな対応をもう少し早くしていた。という言い訳でもあります。何か精神的に落ち着く事がなかったというのが現実。
何せ、じたんの結婚も知りませんでしたしね(すばるくん、おめでとう。)
とは言えコロナ期間、それを知った人たちにはたくさんお世話になりました。色んなアドバイスや薬の相談、状況へのサポート、励まし。本当に本当にありがとうございました。この御恩は忘れません。
それと、↑で精神的に落ち着く事がなかったと言いましたが、実は2度だけ一瞬の隙と言いますか、ふとヲタクゴトに戻った瞬間がありました。
1度目は滝沢歌舞伎ZEROの配信の日。この日は中等症まで進んでしまった義兄の熱もやっと下がり、姉も軽症のまま治りそうだとホッとした翌日だった。ふと当日に思い出した。その日は何とも言えない気持ちでわりと心ここにあらずで配信を見始めたので、あまり覚えてません。
ですが彼らがステージに出てきた瞬間、その背筋のシュッと伸びた彼らの意志を持った凛とした表情を見て、勝手に涙が出て来た事を覚えています。(ひらりと桜は本当に名曲)
そして2度目。これはもう胆石発作があった事で言い出しにくくなった事ではありますが、腰が治ってきた時に、弾丸日帰りで御園座に行って来ました。コロナ後1度はもう行かないと決めた歌舞伎。
友達と合わせて3公演のチケットを所持していたけど、2公演は断念しました。(本来なら自分が行かないなら友達や知り合いに譲るなどするんですが、その精神的余力がなかった。ごめん。)
最後の1公演だけ、ギリギリまで迷ってた。腰も治った。緊急事態宣言ももう終わりだ。それでも不安は確実にある。ヲタゴトもしてないし離れてるしもういいかな。でも、でも、2年越しに待ってた初の滝沢歌舞伎ZERO、行かなかったら私は後で絶対後悔する気がした。で、結局行きました。(ギリギリまで待ってくれた友達、ありがとう。他公演行かないのも察して理解してくれてありがとうごめんね)
ま、その弾丸の日、帰宅ったとこで胆石発作だったんですけどね💧疲れが溜まってたのかね(汗)
えらい目に合いましたが、歩く事も出来ない激痛と吐き気の中、見に行った事だけは後悔しない、と強く思いました。行って本当に良かった。
で!!めちゃめちゃ論点ズレましたが、ワタクシまだもう1回入院するのでまたいなくなると思う。なので次また消えたら、あー入院してんだなと察して下さい。祟られてなければすぐ退院しますし🍣。👀の時も今回も何も言わず心配かけたので、次はもう言っておこうと思いました。
てかこれを言いたくて書き始めたんだが、思い返すとあまりに色々あったので、思い返しながら色々書いてしまった。長文申し訳ない。
そんなこんなで以上です。はーーこれでもう勘弁して欲しい。今もワケわかんない痛みと共に過ごしてますが、ヲタクゴトに逃避しながら何とか体力回復に努めてます。(4月から通算9キロ痩せました←ほぼ絶食のせい)
てなコトで。コレだけだと何となく締まりがないので、その間撮ったおさしんなど上げてみたり。
夢にまで見た滝沢歌舞伎ZERO in 御園座。
観劇後、帰りの名駅、目の前の柱が歌舞伎ZEROが流れ始めてビックリ。
撮りますよね。
入院部屋。向かって左に縦長のクローゼット、右側は総ガラス、コレでも4人部屋なんすよ。ベッドが小さく見えるくらい広い。特筆すべきは枕元壁見てわかるように、照明は間接照明✨
高層の景観。窓からは国道が見下ろせます。(だから?)
退院の朝。「ふっかさん、帰るよ☺」←痛
(こうじくんじゃないのは、何となく入院の朝目に入ったこのおさしんのふっかさんがとても優しい顔をしていたから不意に手に取ってかばんに入れて出かけたのでした。)
オワリ!!
追記:ところでコレ書いた時は近々の入院予定でしたが、8月いっぱい病床空いてないとの事で入院は9月になりそうです。
はーその前に禁煙だ_ノ乙(、ン、)
編集後記(意味違う)
昨夜勢いでアップしたものの、このブログは上でも触れたようにわりと前に書いたものです。つぎ足し削除などで半端な表現の箇所もありますすいません。正直ついったをまたやり始め、ちょうどスノのリリース期も重なり、調子よくつぶやいてる私を見て元気そうだなとわかっただろうし、もうブログとかいいかな?とも思いました。(考えたら今の垢の人のほとんどはコ〇ナ垢に気付いたりで最終的には大体知ってたし)
なので自分の記録としてここにひっそり上げるだけで、ツイにお知らせまではいらんかなと思ったけども、とりま生きてる!またちゃんと!と言ったままの人もいるし、当時混乱していて自分が誰に何を言ったのかちゃんと認識出来てなかった事も気付いたのでお知らせしました。
あと、LINEで気付かないままだった人も数人いました💧LINEは、家族がコロナだった頃に自宅療養の連絡手段に使ってたので、動いてるヲタ友グループは全部退室し、家族と仕事だけをピン止めし、ヲタク事に使っていなかったので見逃したままになってる方もいました。ごめんなさい。今は解禁してるので、またちゃんと連絡しますm(_ _*)m
なげぇな後記。
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