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赤い三角印が出来るまで。

はじめに。

前回、前々回とラガービールについてしこたま書きました。
さすれば、その対極のスタイル、エールについて書かねば。

エールのことを書くということは、
ビールの起こりから書くということ。

ラガーの歴史に比べるとエールはその何十倍もあります。
出来るだけ短く書きたいですが…どのくらいのボリュームになるか。

先にお伝えいたしますが、
ビールをの歴史を学ぶことは世界史を学ぶことになります。

それでは、書いて行きましょう。

べオレの誕生

まずは教科書的定説ですが、
ビールの発祥は紀元前3500年〜前3000年ごろ
メソポタミアでシュメール人が。

です。

高校で世界史を習うと、一度は聞く
ハンムラビ法典
紀元前1792年から紀元前1750年に
バビロニアを統治したハンムラビ王が発布した法典
(Wikipediaより)。

バビロニアはいわゆるメソポタミア地方ことで
現在の国で言うと、イラクの下の方?らしいです。

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このハンムラビ法典には、
最古のビールに関しての法律が記載されているのです。

ビールを水で薄めてはいけません!
とか、ビールを王に上納する量が階級によって異なる等々。

日本の歴史で言うとお米のような存在がビールだったのです。

日本でも、お米を上納するって法律が
昔ありましたよね。年貢米でしたっけ。

つまり古代の人にとって、ビールは神聖な飲み物でした。

当時のビールの造り方は、
大麦を乾燥させ、挽いて粉にして、
整形して焼いてパンを作ります。
このパンをちぎって、カメに入れ、水を加え混ぜて放置して、
自然発酵させてビールとなります。

ちなみにビールの語源はゲルマン語の”べオレ
意味は穀物。これから来たのではないかと言われています。

エールとミード

時は変わって
古代ローマ帝国。より、ちょっと前。
古代の英国、ブリテン(イングランド、スコットランド、ウェールズ)

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そこでは、野生の蜂蜜がたくさん採取でき、
それを発酵させた、”蜜酒”が盛んに飲まれていました。

これは最近よく聞く”ミード”ですね。

しかし、人口が増え、森林が伐採され、次第に蜂蜜が取れにくくなります。

蜂蜜は貴重な甘味料で、需要が高いものです。
お酒ばっかりに使ってはいられません。

ですので、蜂蜜の代わりに穀物をいれることによって、
蜂蜜の使用量を減らすことにしました。

この”蜂蜜と代用品を入れたミード”は改良が重ねされ、
美味しくなっていったらしいのですが、
やはり”純粋のミード”には敵わなかったそうです。

純粋のミード”は貴族の酒となり、
蜂蜜と代用品を入れたミード”は庶民の酒となります。

そして、”純粋のミード”と”蜂蜜と代用品を入れたミード
を区別するのに言葉が必要になり、

蜂蜜と代用品を入れたミード”は
穀物酒の呼称として”エール(ale)”という言葉で呼ばれるようになります。

このようにして、エールという言葉が誕生します。

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【この後、ローマ人がキリスト教の普及に努め、
 ヨーロッパ各地に修道院(日本でいうお寺)が作られ、
 修道僧(日本でいうお坊さん)がビールを醸造するようになります
 (日本でいう精進料理的な目的ではなかろうか)。
 巡礼者や訪問者が増え、飲食や宿泊を目的とした施設が
 修道院の周りや、修道院を巡礼する道の途中に出現します。
 これらがエールハウス。つまりはパブなどの原型になります。】
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ヒルデガルデス院長

時は11-12世紀あたりでしょうか。

この頃には、たくさんの修道院で
ビールの醸造が盛んに行われています。

そんな時期に、
ビール界において大事件が起きます。

なんと

ビールに

ホップが添加されます。

今では当たり前のことですが、この実験を行なった醸造家が
いくつか前の記事でもサラッと書きましたが、
ヒルデガルデス(ヒルデガルド)修道院長です。 

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(9世紀に初めてホップを醸造に使った記録が残っているが、
 その後、定着はしなかった模様。)

彼女は修道院の院長であり、科学者でもあり、
ホップの役割などを研究し、その役割などを
著書にしたのです。
これにより、色んな人がホップに興味を示すようになります。

ホップは8世紀にはドイツで栽培されていた記録が残っています。

え、ちょ、ちょっと待ちなよ。

じゃあビールにホップが入る前は、
何が入っていたのさ?

という疑問ですよね分かります。

ホップが入る前は
グルート”と呼ばれる様々な植物。
つまりはハーブ等々で香りや苦味をつけていました。

数年前に、うしとらブルワリーさんが
ヨー!!!グルート”という乳酸菌を使ったサワーエール…
だった気がしますが、造っていましたね。
初めてグルート呼ばれるものを飲みました。
なんとも不思議な味わいでした。

グルートに代わって、ホップが使われるようになったのは、
ホップには苦味だけではなく、当時の人がとても欲しかった、
微生物に対する抗菌力があったためです。

では、すぐにグルートが無くなって、ホップが流行するんだ!
…って思ったのですが、ここからグルートやホップの使用料、
利権、税金を巡って血生臭い争いが起こります。

ドイツの中でも、
ホップを使用したものはビール
グルートを使用したものがエール
と区別されるほどでした。

また、古くからビールを醸造する際に
グルートを使用していた英国では、
大陸から来たホップ入りの新しい飲料は
なかなか認められなかったのです。

いろ〜〜んな戦いの末、
17世紀末にグルートを使ったビールはほぼ消滅したそうです。

3皇

ここまでビールやエールの誕生。
ホップが添加される流れを書いてきました。

最後に、ビール、エールを語る上では外すことの出来ない、
ペールエールのお話をします。

前回の記事に書きましたが、
ペール(pale)”とは”淡い”という意味です。

今となってはペールエールと一口に言っても、
様々なペールエールがありますが、

どうでしょう。
皆さんが思い浮かべるペールエールって、
どんな色をしていますか?

先にあげた、うしとらブルワリーさんのビールは
多くの場合、キラッキラの透き通った黄金、もしくは薄い黄色の
ビールが多いです(もちろん、暗い色のビールもあります)。

しかし、今やコンビニでも売られている、
ヤッホーブルーイングの代名詞。
よなよなエールって、”ペール”エールっていう割には、
淡い色はしていませんよね。暗いとまでは言わなくとも
言ってしまえば、赤褐色。

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大手のピルスナーなんかと比べれば、
一目瞭然です。

では、ペールエールは
何と比べてペールなのか。

これは、英国で流行ったスタウトやポーターなどの
黒ビールと比べてペール、淡い
ということなのです。

つまり、それくらい英国のビールというのは
黒いビールが主流でした。

そんなペールエールを世に知らしめた、
3社のビール会社があります。

ホジソン社オールソップ社、そしてバス社です。

ペールエールとビターエール

18世紀。
イギリスのインド支配が本格化すると、
様々な人がインドへ移住していきました。

移り住んだ人々は本国に居た時に、
欠かすことなく、飲んでいたエールを欲します。

その声に応じたのがホジソンです。

彼らは、熱帯地方への輸出にも耐えうるビールの醸造に着手し、
研究の結果、度数が高く、ホップが多いビールが
日持ちするだろうと考えます。

もうお分かりの方もいらっしゃるかと思いますが、
これがインド・ペール・エール
IPAとなっていきます。

ホジソンはこのビールを醸造し、
たくさん輸出します。

インドはじめ、アジアの市場にも参入して、
圧倒的な強さを発揮します。

一方、英国はバートンという地にある
オールソップバスは別の場所への貿易に勤しんでいました。

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バートンの場所。イングランドのやや真ん中、右下ですね

ところが、19世紀のなると、関税の関係などでその市場を失います。

2社はそれぞれペールエールを開発し、
ホジソンが独占していた市場に乗り込むようになります。

戦いの末、ホジソンをインド、アジア市場から
追い出すことに成功します。

バートンの水を使用し、独特な製法で醸造された
バートン製のペールエールの品質が勝利したのです。

それからというもの各地の醸造所がこぞって
バートンで造られているエールの真似して醸造しようとするも、
独特な製法とバートンの水から造られる
バートンのエールのクオリティを真似するのは
容易ではありませんでした。

結果、
バートンで造られたものがペールエール
それ以外の醸造所で造られたエールを
ビターエールと呼ぶようになったのです。

ペールエールは、バートン産のエールの代名詞となったのです。

まるで、原産地名保護制度(GIS)のような。

まるで、シャンパンはシャンパーニュ地方で作られたものしか
シャンパンと呼ばない。みたいなお話。

(実はビールの歴史の中では、ちょこちょこGISが出てきます。)

という、ペールエールと、おまけでビターエールのお話。

と、ここまで長々と書きましたが、

この説はあまり信憑性が高くないらしく…。

もう一つの説ですが、

バートンのエールはよく瓶に詰められて、
インド、アジア諸国。もちろん日本に輸出されました。

オールドスクールなバー、
HUBなどでは置いてありますね。

バス社のペールエール
バスペールエール

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この赤い三角印をみんな求めていました。

一方、ビターエールは樽に詰められ、
国内で消費されることが多かったようで、

パブで生ビールといえばビターエールが来る。

瓶に詰められたのがペールエール
パブで飲むのはビターエール

という名称の由来もあって、
今のところこの説が有力みたいです。

どっちの説も面白いですよね。

現代において、
こんなのはペールエールじゃない!
これはビターエールだ!
というようなことは恐らく無いので、
安心してください。

造った方が、ペールエールといえばそうだし。
ビターエールを造ったと言ったら、きっとそう。
その程度のお話です。

が、

今一度、機会があれば
バスペールエール。飲んでみてはいかがでしょうか。

紛う事なき、元祖ペールエールです。

最後に

さぁ〜〜書いた書いた。

どうでしょう。
長すぎるし、訳わかんなくなってないですかね。

出来るだけ難しい話はすっ飛ばして書いても、
このボューム。

しかしこれを知ってれば、
ほぼエールマスターです。きっと。

書きたいことの1/10の内容、
いつか一つ一つの時代をしっかり詳しく書きたいと思います。

次はエールのスタイル別のお話をいたします。

今回も最後まで読んでいただきありがとうございます。

それでは、また。

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