2人の男が愛した白い宝石。
はじめに。
黒いビールの話をしたら、
やはり白いビールを。
ヴァイツェン、ヴァイス、
ベルギー(ベルジャン)ホワイト
ウィートエール
ウィットビア(ホワイトビール)
そもそも白ビールってなんなのさ?
まずは、言葉の意味から。
“ヴァイツェン”はドイツ語で”小麦”
”ウィート”は英語で”小麦”
”ヴァイス”はドイツ語で”白”です。
“ウィット”はオランダ語で”白”です。
要するに、
”小麦を使ったビール”です。
なんで白ビール?
ドイツビールといえば、…たくさんありますが、
その中の一角を担うと言っても過言でないですね。
”ヴァイツェン”といえば
ドイツはバイエルン発祥の人気のスタイルです。
小麦を使ったビールは白いから
ヴァイスと呼ぶのか。
ってことでも無くてですね。
そもそも伝統的なヴァイツェンは
黄金色、あるいは黄色なんですね。
常陸野ネストビール ヴァイツェン
白というより、黄金ですね。
じゃあなんで白ビールって呼ぶのか。
これは前回、前々回の記事を読むと
なんとなく分かるかと思いますが、
19世紀にチェコのピルゼンで
キンキラキンのピルスナーが誕生するまで、
世界に出回っているビールは
ダーク、もしくはブラウン色のビール。
それらと比べると、
色の薄いビールだなということで、
ヴァイスと呼ぶことになります。
バートンのエールを”ペール”と呼ぶようになったのと
似た理由ですね。
ゲオルク・シュナイダー
この小麦を使ったビール(以下、ヴァイスビール)ですが、
古代の頃から誕生していたという文献があるのですが、
果てしなくなるので一旦置いておきます。
所謂、現代のヴァイスビールが誕生したのは、
12〜13世紀にチェコのボヘミア。
そして、そこに隣接するバイエルンだそうです。
15~17世紀ごろですが、
当時、”醸造ができる権利”と言うのは
時の宮廷が独占していたり、
決められた醸造所でしか醸造は出来ませんでした。
その時、宮廷から認められ、
ヴァイスビールの醸造権を持っていたのは
ディーゲンベルグという一家でした。
ヴァイスビールはすごい人気があり、バイエルンの偉い人が、
めちゃくちゃ売れるから税金かけようよ!と提案すると、
ディーゲンベルグ家がこれを拒否します。
(税金はかけて、その税金を宮廷に納付するのを拒否したのか…?)
と言ったことで、
ディーゲンベルグ家と宮廷は仲が悪くなり、
ついには、醸造権を取り上げられてしまいます。
宮廷が醸造権を独占し、
ディーゲンベルグ家から醸造技師を引き抜き、
更には、ディーゲンベルグ家の各地にある醸造施設を
宮廷所属としました。
宮廷はこの間にビール純粋令が発布しますが、
財源確保のため内緒で醸造し続けるのです。
(例外として、修道院は認められていた。)
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ビール純粋令:1516年にビールの原料は水とホップと大麦で、
それ以外使っちゃだめですよって法律。
(何年か後に酵母も加えられます。)
そのうちまとめて説明しますので、ここではこのくらいで!
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なんとも身勝手な宮廷ですね。
ヴァイスビールが元々 貴族のビールと言われるのは、
そんな理由です。
17世紀以降になりますと
ヴァイスビールは一般庶民にも販売され、
ヴァイスビールのブームは頂点に達します。
しかし長くは続きません。
ブームはどんどん下火になっていき、
1802年にはヴァイスビールの醸造所を民間に手放します。
そして1872年に、宮廷は経営不振により、
ヴァイスビールの醸造を中止にしてしまいます。
そこに、
そんなことしちゃあかんで!と
ゲオルク・シュナイダーという男が立ち上がります。
彼は宮廷のビール職人で、
こよなくヴァイスビールを愛し、
宮廷に醸造権の解放を願っていました。
同年、
ゲオルクは宮廷から醸造権を買い取り、
自らの醸造所を立ち上げ、ヴァイスビールを醸造し、
ヴァイスビールを絶滅の危機から救うのです。
何を隠そうその醸造所は、
今日までヴァイスビール専門醸造所として君臨する
シュナイダー・ヴァイセです。
彼の活躍により、
ヴァイスビールは今日まで醸造されるようになりました。
その後、
ピルスナーの流行で明るい色のビールが見直されたり、
世界大戦後くらいに、世界でライトなビールを好む流れがあったりで、
今では多くのブルワリーで醸造されてたり、
多くのビアバーで繋がるような人気のあるスタイルとして
確立されるようになったのです。
ヴァイツェンの種類
これまた長い話でしたね。
シュナイダー・ヴァイセ
めっちゃくちゃ美味しいヴァイツェンを造っているので
是非飲んでみてください。
ヴァイツェンは
酵母が入っていて、濁ったものを
“ヘーフェヴァイツェン”
フランツィスカーナー ヘーフェヴァイツェン
黄金色で、濁りがありますね。
濾過をして、酵母を取り除いた透明なものを
”クリスタルヴァイツェン”
フランツィスカーナー クリスタルヴァイツェン
キラキラで透き通ってます。
ボックビールのように仕込んだものを
”ヴァイツェンボック”
富士桜高原ビール ヴァイツェンボック
赤みがかって、度数が高いですね。
このように分けられます。
白いビールの話をすると、
ヴァイツェンの他に外せないスタイルが一つ。
ピエール・セリス
場所は変わってベルギーに。
ウィットビア(Witbier=ホワイトビール)といえば
同じく、白くて、小麦を使ったビールです。
ベルギーの中心あたりに
ヒューガルデン村という場所があります。
ここでは1800年代、
小麦を使ったビールの醸造が盛んでした。
が、年々醸造所の数は減っていき、
1950年にはほぼ消滅してしまったそうです。
そこに、
こんなんじゃあかんで!と、
ピエール・セリスという男が立ち上がります。
彼は同村生まれで、経営難の醸造所を買取り、
1966年にホワイトビールを醸造し、
ヒューガルデンホワイト
と、名付けます。
元々は1500年ごろに修道士がこの村でビールを造り始め、
その味わいが酸味が強かったらしく、
オレンジピールやコリアンダーを入れ、
爽やかに仕上げた。のが始まりで、
そのビールをセリスが絶滅から救ったのです。
このビールがベルギーで人気になり、
ベルギーでホワイトビールを定着させます。
このビールは、
ベルギーホワイトの教科書的存在であり、
老若男女 ビールに興味のない方でも
なんかこのビールは知ってる、飲んだことあるという
不思議なビール ヒューガルデンホワイト。
ビールは苦手。
クラフトビールってたくさん種類があって、
何から飲めばいいかわかんない。
そんな悩みもこのビールがあれば解決してくれる。
オレンジピールとコリアンダーの魔法のような味わいは、
一人の男から救われた”ビールの歴史”そのものです。
セリス氏の功績
ホワイトビールをベルギーに定着させたセリス氏ですが、
その後の活動はなかなかに大変だったんです。
ヒューガルデンホワイトを流行らせた後、
その醸造所が火事になってしまいます。
セリスさんだけでは、再興は困難だったため、
インベブ社(世界的にめっちゃでかいビール会社)に
ヒューガルデンホワイトの名前と共に売ります。
その後アメリカに渡り、
醸造所を立ちあげ、もう一度ホワイトビールを造ります。
ヒューガルデンホワイトの名前は使えないので、
自身の名前から、セリス・ホワイトというビールを醸造します。
しかしながらこの醸造所も
ミラー社(世界的にめっちゃでかいビール会社)
(後に、インベブ社に買収されます。)
に買収されてしまいます。
セリスさんはベルギーに戻り、
セントベルナルデュス醸造所にて
セント ベルナルデュス・ホワイトを醸造します
ヒューガルデン・ホワイトセリス・ホワイト
そしてセント ベルナルデュスホワイトと。
最後の最後までホワイトビールの造り続けたセリスさん。
苦労人ではありましたが、
ホワイトビールの神様と呼ばれつつ、
2011年の息を引き取ります。
そんなセリスさんに朗報です。
2,3年前に娘さんと孫娘さんが
アメリカでセリスブリュワリーを立ち上げ、
セリス・ホワイトの醸造権を勝ち取り、
復活させたんですよ。
なんだかいい話ですね。
最後に。
さて、
ヴァイツェン、ホワイトビールを
愛し愛された二人の男を紹介しました。
言い方、呼び方がいくつかあって
少し複雑ですので最後にもう一回おさらいを。
ホワイト(英)、ウィット(蘭)、ヴァイス(独)
これは全部”白”って意味ですね。
ウィート(英)、ヴァイツェン(独)
これは”小麦”です。
ホワイトエール
ウィットビア
ヴァイスビール
ウィートエール
ベルジャンホワイト
などなどたくさんありますが、
混乱せずに!
もう一つ、ベルリナーヴァイセという、
名前からしてベルリン生まれだろ!
ってスタイルのビールがあり、
小麦を使っているビールなのですか、
酸っぱいビールなので、
酸っぱいビールを書くときに紹介したいと思います。
絶滅の危機から救われ、
今では当たり前と言ってもいいほど
定着したスタイルのビール。
このスタイルは、
ビールを愛する二人の男から誕生(復活)した、
それはそれはとても愛されたスタイルなのでした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
それではまた。
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