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ぼくが生きてる、ふたつの世界
今年16作品目、吉沢亮さん主演「ぼくが生きてる、ふたつの世界」を観てきました。今年個人的No. 1です。今年イチがここで更新された時の胸の高鳴りハンパじゃなかったです…。いい作品に出逢えたことに感謝。
呉美保監督、9年ぶりの長編作品。原作は五十嵐大さんの「ぼくが生きてる、ふたつの世界」です。
ストーリーは、ろう者(生まれつき耳が聞こえない)の両親(母親役:忍足亜希子さん/父親役:今井彰人さん)に育てられた五十嵐大さん(吉沢亮さん役)の28年間の人生を描いたもの。”聞こえる世界”・”聞こえない世界”のふたつの世界を行き来しながら、感じる生きづらさや葛藤・苦しみが表現されています。
ろう者に育てられた子どものことを”コーダ”と表すそうです。今までろう者の苦悩を描いた作品はいくつかあった気がしますが、この”コーダ”に焦点を当てた作品はあまり無いような印象です。自分自身も正直あまり考えたことはありませんでした。まだまだ自分も知らないことがたくさんあるなと感じましたし、自分自身にも何か出来ることがないかなと、実際にそういった境遇の方から話を聞いてみたいという気持ちもかなり強くなりました。
映画を観ていて一番感じたのが、コーダの”年齢を重ねていく中での心情の変化”です。コーダは立場上、親の肩代わりをすることが多くなります。自分自身は理解していても、周囲には中々理解されない。小学生の時の五十嵐大さんが、友人に「お前のお母さんなんか喋り方変じゃね?」という問いに「そうかな?」と返したシーンでは、その感情が強く出ているなと感じました。大さんは小学生の時点で、その難しさを感じ理解してもらうことを諦めていたのかもしれません。自分はそう解釈させてもらいました。
中学生・高校生になり、徐々に思春期の中での”コーダ”としての複雑な感情が出てくるようになります。「何でこっちがそっちに合わせなきゃいけないんだ。」「こんな家に生まれて来なければよかった。」そんな言葉が出てきてしまいます。どっちの辛さも感じてしまうから、観てる側も何だか涙が出てきてしまう。もう約2時間、自分自身が作中に存在しているかのように錯覚してしまうぐらい感情移入をしてしまいました。
その中でも大さんの両親は怒ることなく、大さんを信じ、選択を応援する姿に心を打たれました。そこにあるのは普遍的な親子の愛でした。”聞こえる世界”の親子と状況は違えど、何ら変わらない親子の愛が確かにそこにあるのです。後になって知ったのですが、両親役の忍足亜希子さん・今井彰人さん共にろう者の方なんですね。”コーダ”とは逆の境遇になりますが、実際に聞こえない苦悩を感じてきて方々だからこそ、表現できる表情・感情があるのでしょう。だからこそここまで作品にのめり込ませてもらえたのかもしれません。
大さんは社会人になり、宮城から東京に移動します。親元を離れ、出版社に就職し、まさに”聞こえる世界”を生きるようになります。大さんは東京に出てからも、”同じような境遇の方々が集う会”に参加します。その会はコーダの方々だけでなく、ろう者の方まで様々な方々が集まり手話を学んだり、コミュニケーションを取ったりします。いわば”新たな聞こえない世界”へと踏み出していき、その中で新たな価値観に触れていきます。ここのシーンを通して、自分自身の考えも改めていかなければと強く感じました。
印象的なセリフがありました。「障害を持っている人は誰しもそれに配慮されて生きたい訳ではないのかもしれない」という言葉。ろう者に限らず、何かしらのマイノリティーを持っている方はマジョリティーの方々から、勝手に”変わっている”などとレッテルをはられてしまいます。それこそがこの世に蔓延る生きづらさなのかもしれません。一人一人それぞれ”マジョリティー”はあると思います。しかしそれが目に見えるものになることで、”変わっている”という扱いを受けてしまいます。それが当事者の”普通”なのにも関わらず。
大さんがろう者の友人と食事をした際に、注文等を全て代わりに行うシーンがありました。自分でもそうするだろうし、それが正しいと思い生きてきました。しかし友人は「ありがとう。でも全てを奪おうとはしないで。」と残します。これも一種のマイノリティーに対する、偏見なのかもしれないと。この映画を観ていなければ、そんな考えは出てきてないと思います。過剰な配慮はその人の何かを奪っている、という考えも心に留めておくべきことなんだろうなと強く感じました。
最後に大さんが東京に出る前に戻り、母親と街に出かけ電車に乗っている場面が描かれます。何気ない手話での会話をして、電車を降ります。そこで大さんの母親が「みんなの前で手話をしてくれてありがとう。」と涙ながらに言葉を残します。
これからの世界、もっともっとマイノリティー・障害が理解される世の中にならなきゃいけないし、なって欲しい。まずその一歩として、「知る」があると思います。この作品に出会い、様々な環境の方々の人生に少しですが触れることができました。自分自身、これを「知る」で終わらせず「理解する」に変えていくためにも、日々過ごす中で様々なことを学び・考えていきたいなと思います。