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忠臣蔵の敵役 吉良上野介産湯の井戸

 群馬県藤岡市白石に忠臣蔵の敵役吉良上野介義央の産湯の井戸がある白石

は、吉良家の陣屋が置かれていた。

 上野介の父親である領主吉良若狭守の正室(上野介の母親)が、伊香保温

泉に湯治にした帰途、陣屋に滞在して、嗣子上野介義央を産んだ際に産湯に

汲んだのがこの井戸だと伝えられている。 

産湯の井戸全景

この産湯に汲んだ井戸水は、毎月1回赤く染まるので「汚れ井戸」といわれ

れ、飲料水に適さず飲まれなかったという。

産湯の井戸

この陣屋は上野介義央の祖父義弥の時代(寛永5年1628年)頃に徳川家康に

より白石村に740石の所領を新たに拝領し、陣屋を置いて治めていた。

 吉良家は京都の朝廷と幕府との儀式や作法を指導する「高家」という役職

に就き、義弥・義冬・義央の三代にわたり世襲していた。討ち入り後の元禄

16年(1703年)までは吉良家の所領でした。
 
 産湯の井戸は疲れず今では枯れ井戸となっている。

枯れ井戸の中をのぞく

いい伝えだと、白石村で忠臣蔵を興行すると「火の雨が降る」といわれ、

白石村では忠臣蔵の芝居は行われなかったと伝えられている。
              
                    出典:藤岡市教育委員会資料




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